西島稲荷の深層

豊川稲荷の元とされる西島稲荷ですが、
西島稲荷の伝承に目を通してみると、
中々に面白い事が分かってきます。

この地方で最も古いとされる西島稲荷は、
熱田大宮司家の一族である星野氏が、
大和から宇迦之御魂(ウカノミタマ)神を
田の神として勧請した神社だそうです。

慶長元年(1596)に神宮寺も創建され、
熱田神宮から神官を迎え祭典が行われ、
熱田との関係が深かった事が分かります。

星野氏に関しては書ける事はありますが、
星野行明に関しては徐福の本にも書きました。

更に面白いのは豊川市にも出雲神社があり、
三河国造の大祖を祀る社であったとされるも
創建は明らかではないとされており、
いずれ本に書くかもしれません。

豊川市と熱田神宮について調べていくと、
三河吉野朝の研究では後醍醐天皇と熱田は
関係が深かったとされているので、
平八は大きな領域と繋がっていそうです。

豊川市と熱田神宮との関係を探ると、
他に兎足神社が見つかりますが、
ここも南朝との関係が指摘されており、
豊川稲荷と後醍醐天皇の間のは、
深い関係が存在していたのでしょうか。

西島神社創建は南北朝の頃とされますが、
総合的に見ると疑問が出てきます。
もっと視野を広げて関係性を探らないと、
三河南朝の真実は見えて来ないでしょう。

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