『論語』の翻訳と解釈

徐福などの研究を行おうとすると、
儒教がどうしても関わってきます。

秦の始皇帝による焚書や儒教の弾圧があり、
始皇帝から逃れてきた徐福は経典が焼かれる前に
儒者を古代日本に連れてきたとすれば、
国家官僚である儒者が様々なジャンルの知恵を
この国に持ち込んだ可能性が高いからです。

天文(占星術)地理(風水)を始めとし、
音楽や教育、刑罰、祭祀に至るまで、
儒教は社会全般を網羅しているので、
これらを読めばそれ以上の水準の王朝が
古代日本に存在した可能性が窺えるでしょう。

徐福が孔子の弟子の子孫とされているので
儒教に関わりが深かった事を伝える意図が
あった事が推察されます。

日本では孔子の弟子が孔子の言葉をまとめた
『論語』を読み儒教を理解した気になっていますが、
四書五経などの儒教経典に網羅的に目を通すと、
論語が間違って解釈されているのが分かる記述が
嫌というほど目につきます。

孔子は神を敬して遠ざけるのを知恵とすると
論語の記述から解釈されていますが、
儒教では祭祀で様々な神を祀るので、
遠ざけ関わりを持たない解釈には疑問が出ます。

神に仕える事を聞かれた時に
人にすら仕えられていないと言った様に、
実社会の人間関係の延長線に神々との関係を説き、
目上の人に馴れ馴れしくしないように、
深遠な存在として敬する事を
伝えていた可能性があります。

性善説なども原文に何が書かれているか知らず、
人の解釈で分かった気になっているケースが
多いように見受けられますが、
日本で多くの民を救う偉人を輩出した
儒教の価値はそこまで低くはありません。

江戸時代の文献を読むと、
論語の解釈について様々な議論が
なされていた事が分かります。

寺子屋でも論語の素読の後に
自由に解釈を出させる教育が
なされていた事もあったようですが、
現代の教育と違い人生の問題に対して
自分で考え議論する力が培えます。

江戸の教育方針に関しては、
儒教経典の『礼記』の一節である
学記」を知った上で語らなければ、
最低限の基礎が欠落してるでしょう。

豊田佐吉記念館に行くと、
若き日の佐吉氏が寺子屋に通った事が
記されているのが見えますが、
歴史の波風に耐えた古典を読む事は
やはり価値は高いのでしょう。

最先端のものばかり追うと近視眼的になるので、
遠い国に行くと日本の良し悪しが分かる様に、
遥か昔から残ってきた古典を読むと、
目先の物事にどっぷりと浸かって
見えなくなっているものが見えてきます。

根本を押さえて流れを活用するのと、
目先に流されるのとでは大きく違うので、
コロナなどで先行きが見えなく不安な方は、
一度スピリチュアルや自己啓発本、
ビジネス本などから離れる時間を取り、
直接古典に向かい合ってみては如何でしょうか。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする