江戸の政治とロゴス

林羅山の墓参りに関しては、
11月に一般公開の様なので
ここを狙えば良いのですが、
行けるかはキツそうです。

江戸では儒教と言っても
特に朱子学が重視され、
朱子学では理論化が進み
理が重視されています。

ただ孔子はこの傾向に対し、
余り良く思っていなかった
可能性が高いのですが、
朱子もこの類いの話には
頭だけで考える事について
否定的な感じがします。

性善説を語ったのは孟子で、
孔子は性について語る事が
殆んど無かったそうです。

分かる人は言わなくても分かり、
分からない人は言っても無駄で、
学びが天徳に達すれば自ずから
理解出来る物であるとすれば、
修行の段階が重要となります。

武術でも段階的な修行があり、
間合いや隙や気配が読める人と
そうで無い人とでは認識自体が
全く異なる事になって来ます。

達人の境地を議論するのと、
達人に至るカリキュラムを
段階的に習得するのとでは、
根幹から意味が変わります。

儒教は根本が官学であって、
命を張るレベルの重責のある
大勢の命運に関わる世界で
成果を認められた学問であり、
抽象論で終わらず実務の上に
反映されるべきものですね。

理と言うと密教においても、
金剛界曼陀羅が理を司ると
言われる事がありますが、
理をロゴスと言い換えれば
随分と印象が変わります。

ヘレニズムでは世界中の
宗教哲学が習合したので、
中国まで到達していれば、
この周辺の研究もなされた
可能性が高くなって来ます。

日本の儒教本が翻訳が微妙で、
異なるイメージを広めている
本が多い感じがしていますが、
羅山の神道は朱子学と習合し、
梵我一如的な思想があります。

現代で神道を語る人達には、
この辺りに触れられる事が
少ない感じを受けますが、
復古神道の流れの上での
議論が主体だからでしょう。

しかし復古神道の歴史観に
ヘレニズムは含まれません。

幕府の上層部は真の歴史を
弁えていた可能性は高く、
その上で様々な問題への
対策が議論されたのなら、
羅山も関わっていそうです。

と言う事になって来ると、
墓参りをしたくなるのも
当然の流れになりますね。

実際に行くと既存の概念が
大きく覆る研究に繋がる
ヒントが得られるケースが
結構あったりするのですが、
ブログ収益との兼ね合いで
調査のレベルが変わります。

公益的な活動であっても
税金での運営ではなく、
高税収高福祉が良いか、
低税収低福祉が良いかは
考えないといけませんね。

再来週までには調べ上げ
準備を終えたいですが、
収益が多ければ頻繁に
足を運べるのは確かです。

もう少し収益性が高いと
幅が広がると思いますが、
時代的問題との兼ね合いで
中々引退する事も出来ずに
無茶をする事が多いです。

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