古地図には八丁堀の天祖神社から東に
五丁(500メートル)ほどの場所に、
九鬼式部少輔の屋敷が画かれています。
九鬼家は寛永九年(1632)の家督争いで
摂津国三田藩と丹後国綾部藩に分裂し、
綾部から大本教との関係が伺われます。
八丁堀は綾部藩九鬼家の江戸藩邸とされ、
宇志採羅根真大神が祀られていましたが、
これは九鬼文書に登場する神ですね。
後に大本教の開祖に艮の金神がかかり
大きな動きを出していった事は有名で、
その深層に『大成経』に関わる動きが
関わっていた事が分かるでしょう。
宇志採羅根真大神祭祀は綾部藩と
三田藩に分かれたとされますが、
ここで私の提唱する艮の金神に
複数系統が存在すると言う説と
関わって来る事になって来ます。
大本教では高熊山を艮の金神の
聖地としているそうですが、
高御位山を聖地とする信仰も
残されているのが大問題です。
ここから深い領域に踏み込むと、
どこまで書いて良いのかが
非常に難しい領域になります。
九鬼氏は後醍醐天皇と関わり
熊野修験にも通じますが、
熊野と言えば徐福ですね。
八丁堀の天祖神社と関わるなら、
国学派=平家勢力であった線が
非常に濃くなって来ますが、
アメリカのユダヤ人と同様に
学術の捏造がお仕事の方達なら
この周辺も信頼度が低そうです。
嘘をつきまくる勢力であれば、
九鬼家の分裂も起こっておらず、
丹後国綾部藩側は九鬼の家名を
勝手に名乗ったかも知れません。