伊雑波登美命

東京の八丁堀に鎮座すしている天祖神社は
天祖(天皇の祖先)と匂わせているものの、
御祭神は伊佐波登美命と王柱屋姫命で、
イザワと言えば伊雑宮に通じて来ます。

伊佐波登美命がどこから出たかは
良く分からない領域がありますが、
イザワトミならトミノナガスネヒコで
天皇家以前の勢力と関わる可能性も
浮上して来る事になって来ます。

富家であれば出雲に関わりかねず、
これが国学派の唱えた物であれば、
神武天皇以前の領域に根拠を置く
天皇観を持っていた事になりかねず、
天皇家に複数系統が存在したと言う
仮説が出た背景にもなっています。

天祖神社の旧社号は伊雑太神宮とされ、
寛永元年(1624)伊勢内宮別宮の伊雑宮を
伊勢長官の出口市正が江戸日本橋道三丁目で
祀り始めたのに御用地となってしまった事で、
寛永十年(1634)に遷座したとされます。

『江戸名所図会』「巻之一天枢之部」には、
この周辺の経緯が記されています。

寛永元年甲子(1624年)、伊勢長官出口市正某(でぐちいちのかみそれがし)、伊雑宮より移しまゐらせ、(日本橋)通三丁目に営めり。同十年癸酉(1633年)、いまの地へ移し奉るといへり

伊勢長官は伊勢の神宮の祭主とされ、
藤波氏の世襲職とされている事から、
危険な雰囲気も漂っていますね。

外宮の神主で外宮権禰宜(ごんねぎ)の
出口延佳(のぶよし)周辺から渡会姓を
出口姓に改姓したとされていますが、
市正は役職名とされている様なので、
この資料からは名前は分かりませんね。

問題となるのが後期伊勢神道を提唱した
出口延佳がこれに関わっていたのなら、
垂加神道などの国学にも深く関係した
日本のDSが背後に存在した可能性を、
考慮せざるを得ない所でしょう。

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