湖西の崇山

三ヶ日の用事を済ませて豊橋に行く途中、
湖西市の崇山を通ったのですが、
以前記事にしたようにイワクラや古墳があり、
古代の重要な場所であった事は間違いありません。

以前ここが気になって車を止めて散策したのは
綺麗な三角形をしているのが見えたからですが、
ここまで綺麗だと意図的に造った感じもしますね。

ついでなので写真を撮ってきましたが、
上座(かんざ)神社が近くにある
神座エリアの聖山であるので、
観光目的で行く場所ではない雰囲気です。

墓に上るのが趣味な人はいないと思いますが、
例えここが神聖な山だったとしても
神は礼にあらずば受けたまわずと古語にあるように
礼儀が無いと上るのは危なそうですね。

孔子は最低限の礼式で決められた謝礼を出せば
誰にでも教えたとされていますが、
最低限の礼を弁えない人がいたと言う事ですね。

口先だけでやる事をしない人は、
実社会でも人に頼んで一言の礼もないと
信頼を失う事になりますが、
目上の人に対しては尚更でしょう。

ここが神々の聖地であるのか、
王族や高貴な位の墓であるのか、
集団墓地であったのかは分かりませんが、
格が高い雰囲気は漂わせています。

古墳の調査のために僧侶に祈祷を頼んだそうで、
自分も上る途中は怖い感じがしていました。
オカルト好きな人が来られても迷惑なだけで、
墓荒らしなら普通に痛い目にあいそうです。

ここも三ヶ日と豊橋の境にある山脈の一部で、
両者の中間に信仰の場所があったとすると、
二つのエリアの交流に重要な場所だったのでしょうか。

古代のように三遠を一つのエリアとして、
両者が交流する事で互いの弱みを強みで補い、
優れた活動を追及していくためには、
ここが何かしら大事だったのでしょう。

両者の強みを生かした最高の事例は
湖西から世界に飛躍したトヨタですね。
この飛躍は徐福と深く関わるので、
ここを大事にして両者が交流する事で、
三遠も大きく飛躍しそうな気がしています。

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