承和の遣唐使で副使とされた
小野篁の家系を見てみると、
遣隋使で有名な小野妹子から
遣新羅使や遣唐使に関わる
先例・知識を蓄積した小野氏に
連なっている事が分かります。
彼が遣唐使になっても渡唐せず
時代遅れと遣唐使を批判して
流罪となったとされている話に、
疑問が浮上して来ますね。
自らの先祖の功績と蓄積を
否定する言動をした事は、
事実であったのでしょうか。
小野篁が遣唐使の命を
破棄したとされますが、
遣唐使は新羅船の補助を
多大に受けていた事は
既に知られています。
円仁の不法滞在も新羅船で
帰国出来る前提の話とされ、
大宰府でも遣唐使に絡んだ
新羅との交渉も行われます。
そして新羅側の話の中に
篁が登場して来ており、
日本側の記述と異なるなら、
大きな見直しが要求される
深刻な問題となって来ます。