秋分の日

今日は秋分の日なので
墓参りに行きましたが、
庶民が墓を始めた時期は
江戸中期頃とされる様で、
それまでは墓の大きさが
権威の象徴だった様です。

儒教では大きい方が良い物と
小さい方が良い物が挙げられ、
墓は大きい方が良いそうです。

古墳も大きさで権威が分かり、
一定の立場以上の人でないと
墓を作らなかったそうなので、
私には墓は要りませんね。

遺骨は重要とされますが、
忘れられた時を死とする
思想も存在しているので、
本を何冊も出版した事が、
墓の代わりになりそうです。

近年は墓じまいも多いそうで、
少子化や核家族化に伴って、
この文化も消失しかねない
状況に陥っていそうですが、
日本人自体が絶命危惧種です。

墓の大きさの歴史を知る事が
私の日本のDSについての説の
根拠となった部分があって、
故人を思い懐かしむよりも
権威を誇示する様な文化が
存在した根拠が存在します。

近年の新興宗教にすらも
この思想が根底に流れる
雰囲気を感じていますが、
スピリチュアル領域でも
教祖的に俺凄い感を誇る、
権威主義がありそうですね。

別の言葉で言えば支配欲や
権勢欲になりそうですが、
新興宗教の教祖が立て続けに
他界する現象が起こりました。

統一教会は韓国でも騒がれ、
創価学会も悪い噂は日本中で
語られていた記憶があります。

これらは裏で悪事を行っている
話が広域に伝わっていましたが、
自民・公明との関わりも知られ、
かなりバレバレではありました。

しかし私が実地調査をして
明確になって来た問題には、
遥かに厳重に情報の統制が
なされていたのが分かります。

飽海遺跡が邪馬台国の宮殿の
可能性が存在するのであれば
もっと広まっても良いのに、
殆んど語られなかった事から、
一端が窺えると思っています。

ただアリーナ問題で余りにも
強引な無茶をし過ぎた事で、
深層に隠れていた闇の存在が
浮上してきたと思われます。

この闇は世界史の根幹にも
密接に関わる物であり、
ある意味バチカンよりも
闇深い領域が存在すると
思われる節すらあります。

江戸幕府を裏から侵食し、
政権奪取の一歩手前まで
行った可能性すらあり、
江戸の神道を研究すれば
明確化しそうな気配が、
プンプン漂っています。

ラスボスは闇に隠れるから
脅威となりうるのであって、
自ら強引な手を用いる事で
その姿を晒したのであれば、
自滅の道となりかねません。

秋分は新たな節目であり、
ここから今まで行った
行動の収穫の流れが出る
スタートラインですが、
どう動くのでしょうか。

暫くは動きが殆んど見えず
静止した感すらありますが、
ジェットコースターが上り
静止した状態であれば、
動き始めれば大変ですね。

さて後半戦がスタートですが、
秋分は家族の墓参り以上に、
先祖からの流れも意識すべき
重要な節目となっています。

自分が今ここに存在するのも
先祖からの流れあってこそで、
この悠久の流れが見えないと
長期的な視野も曇ります。

歴史が鏡であるなら曇っては
未来のビジョンも見えず、
歪んでいれば現代すらも、
歪んで見えて来るでしょう。

彼岸はあの世との境界が
薄くなる時とされるので、
嘘で塗り固められた歴史が
実際はどうであったかを
感じられそうな節目です。

悠久の流れに意識を向けて、
新たな時代を創るためには
何が必要かを感じてみると、
あの世に行って皆と会っても
胸を張れる生き様が出来る、
特別な日かも知れませんね。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする