21世紀の易経学習法

林羅山の研究をしているので、
今年の始めに京都に行った時、
藤原惺窩の墓参をしようと、
相国寺に寄って来ました。

東口からすぐに墓地があっても、
鍵がかかって入れなかったので
一番大きな墓石に目星を付け、
遠くから手を合わせてきました。

やはり歴史の研究をしていると
感じる所があるものですが、
儒教に一子相伝の秘伝があると
知らなかった身からすると、
得難い師に会った様な印象を
受けられるのが得難いですね。

墓参りをすると色々と考える事が
出て来たりするものなのですが、
現代的な儒教教育をどうするかに
取り組みたくなっても来ます。

3月には関東に行くついでに
足利学校に寄りたいのですが、
僧侶が儒教を教えた学校で、
儒教と言っても易経を軍事に
活用して来たそうですね。

時代を創り出す人材育成のため、
現代的な易経が学習出来る場所を
設けたいモチベーションがあり、
ごちゃごちゃ企画を練っています。

儒教経典は翻訳が悪過ぎる事で、
酷いイメージが付与されたり
解釈違いが数多くあるので、
本を読んでも使えない人達が、
かなりの数いる気がしています。

林羅山の偉大な功績によって、
機密扱いされていた儒教が
誰でも学べる様になっても、
これでは余りと言う物です。

ただ易経はその中にあっても
機密扱いすべき経典であり、
誰でも知って良いものかは、
悩ましい所がありますね。

パクって勝手に教える人も
中にはいそうな世界ですが、
時代的な意義があるからと
無料で大量の情報を流しても、
タダが当然だと考える人には
それ以前の学びがいります。

孔子は最低限の礼を通せば
誰にでも教えたそうですが、
どこが最低ラインでしょう。

安売りするのも問題なので、
諸々の条件をどうするかが
明確になってくるまでは、
やらないとは思います。

ただ経営から地方自治まで、
人材を大勢輩出する出る事が
今の時代には必要でしょう。

君子占わずと言いますが、
易を占いとして考えるのは、
現代日本の悪癖になります。

抽象的な宇宙の真理を語っても、
飽海遺跡の一件すら動きが悪い
無責任な事例が見られましたが、
言葉が行動を越えてはNGです。

本当に悟っているのであれば、
こう言う勝負所で成果を上げて
本物なのを示せば良いのですが、
裏で揉み消しレベルが高い様な
演出をして素人を騙していれば、
儒教では死罪に該当しますね。

平均的な日本人より読書量も
実地での動きも多いのではと
自負してはいるのですが、
折角の研究も私が死んだら
終わりになれば勿体無く、
必要な人に伝えたい所です。

知人にモニターを募集して
開発しようかと思っても、
スペックが割けるまでには
終わらせるべきタスクが
余りに多い状況にあります。

倭国の歴史の研究を含めて
私にしか出来ない事が多く、
時代的な要請でもあれば、
なかなか楽は出来ませんね。

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