水戸学と垂加神道

垂加神道は神代紀に関する秘伝や
極秘伝は九十一もあったとされ、
厳重な誓紙で門外不出を強要され、
一分之造説異説を禁止した上での
伝授であったとされています。

と言う事は外部から核心部分を
研究する事が出来ない事になり、
ほぼ秘密結社的な感じがします。

身分差を強調し君臣の区別を画然とする
名分論が封建的身分制度に重要とされ、
この名分論が垂加神道の存在理由を
支える物と考えられているのですが、
幕府による封建制度への思想でなく、
こちら側ばかりが認知されていますね。

垂加神道は政治は武儀により行われ、
人の金気が人を殺すべきだとなれば
人を殺す事ができるのだと言い、
お上が殺せと言えば殺しても良い
恐ろしい理論に発展しかねません。

武士階級に多く広まったとされる
崎門派の思想が水戸藩で受容され、
水戸藩の武士が寄せ集めの集団で
あったと言う話から推察すると、
徳川光國の周辺には危険な武当派が
集まっていた可能性がありますね。

天皇を出せば人殺しもOKなら、
預言者が神の命として伝えれば
異民族を虐殺してもOKとなる、
ヨシュア記に近い信仰でしょう。

闇斎と光國が関係無かった所から
学問的な繋がりが出来たのか、
それとも背後の組織的な動きで
全て計画的であったのかは、
断定はしかねる所があります。

しかし闇斎が鴨脚氏の女と結婚し、
その背景が語られない事からも、
闇斎や光國を越えた巨大なモノが
暗躍していた気配を感じさせるに
十分な情報が確認出来るでしょう

国を裏から支配しようとした
西洋の某秘密結社はメジャーで、
かなり色々と語られてはいます。

日本では某八咫烏が有名ですが、
一系統では無かった様ですね。

学者は保身に走り何も触れないか
叩ける所だけ口を出す一方で、
怪しい情報ばかりを出して煽る
ビジネスをしている状態では、
どっちもどっちな感じはします。

私の研究を契機に研究が進むか
全く触れられないかについては、
今後の権力構造の変化如何で
大きく変わって来そうです。

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