神道の密教排除

水戸の調査では水戸八幡宮にも
レンタサイクルで寄ったのですが、
文禄元年(1592)佐竹義宣により
馬場八幡宮から分祀し建てられた
八幡宮とされていましたね。

江戸幕府が成立し水戸が徳川家の
領地となってしまった事から、
佐竹氏の影響を排除したい光圀が
八幡潰しを行ったと言われています。

しかし佐竹氏も源氏を祖に持ち、
徳川家も源氏を名乗っている事から
何度か遷座を強要されたそうで、
複雑な経緯を辿った神社とされます。

ただ八幡潰しで潰された八幡宮が
膨大な数に上っただけでなく、
密教系への攻撃が余りにも酷く、
本当に佐竹氏の影響力を排除する
目的であったかは分かりません。

光國も徳川の者であったなら、
八幡神を敬わなければならない
立場であったのは確かでしょう。

しかも石清水八幡宮は第二の宗廟と
言われている様に天皇家との関係も
非常に深かったのに敬意はゼロです。

これでは廃仏と言うより密教的な
霊能者の排除を目論んだと見ても
問題無さそうな感じがしますが、
明治の神仏分離でも神社から
密教色が排除されていますね。

神主が霊能者でなくなってしまい、
神への信仰も概念上の話となり、
思想統制には都合の良い状況が
作られる形にされています。

光國が国家の頂点に据えようとした
天皇とは北朝系の天皇であって、
平安中期の天皇とは全く異なる
平家王とするのが私の仮説です。

光國が平家の残党の勢力に属する
江戸支配を目論んだ人物であれば、
源氏の神である八幡神の排除は
当然の様に想定されて来ます。

明治の神仏分離を越えるレベルの
苛烈な宗教弾圧であったとされる
八幡潰しを断行したのであれば、
かなり危ない部類の人物でしょう。

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