忌部神道を提唱したとされる広田担斎を、
八丁堀の伊雑社勧請に関わった出口市正と
同一人物とする説が存在しています。
これが本当なら闇斎が広田担斎から
直接伝授された事になりますが、
あくまで仮説の域は出ていません。
出口市正は伊勢・伊雑宮の長官とされ、
江戸に長期滞在をしたかについては
疑問が持たれてはいる様なのですが、
神田明神にも国学派が参入しており、
江戸での工作は盛んだったのでしょう。
伏見稲荷や伊勢の外宮の神官の中に
エージェントを潜入させていたなら、
他の神社に入り込んでいたとしても
不思議の無い話しになって来ます。
ただ裏の活動なので表で語られる
大きな動きを見せた人の方が
少数ではなかったかとも思われ、
痕跡を残せばスパイ失格なので、
断片から推察するに止まりますね。
私は実地調査によりこの仮説を
思いつく羽目になりましたが、
この規模での組織的な活動が
秘密結社的な存在により行われ、
西洋のそれと様々に通じている
痕跡を発見して来ています。
八咫烏に複数の系統があると
以前に書いた事がありますが、
これを行ったのが平家側の
八咫烏の可能性が高いです。
しかしこれについて書く事は
余りにも問題があるので、
仮説に止めておいて下さい。
しかし表には出さなかった物の、
権勢欲や自己顕示欲は非常に強く、
悪業の功績を誇りたかっただろう
痕跡が残っているのを見ています。