大伴氏とヤマトタケル

平安時代初期成立の氏族台帳
『新撰姓氏録』を読んでみると、
雄略天皇の時代に室屋とその子が
靱負を管領して門を守る共に
その門の開閉にあたった事が、
大伴・佐伯氏の職掌の嚆矢とします。

応天門が大伴門に由来する説も、
この周辺に関わって来ますね。

雄略天皇=倭王武=ヤマトタケルは
私が何度も提唱している説ですが、
倭国大乱で乱れた国を統治するため
東西を駆け回った事については、
『平将門の深層』に書いてあります。

となると大伴氏はヤマトタケルと
共に戦った氏族であった可能性が
高そうな気配が出てきますね。

雄略天皇の初瀬朝倉宮は
朝倉川河口の飽海遺跡であり、
ここから鬼道の民を追いやり
鬼祭を記念に残した仮説も、
既に提唱してはあります。

となるとここに門があり、
大伴氏が開閉していた線も
無い事は無さそうですが、
徐福絡みの遺跡であれば、
更に凄い可能性もあります。

豊川稲荷=エドフ神殿説は
既に記事にしていますが、
エジプトやギリシャ等の
東三河の痕跡において、
未提出の話もあります。

飽海遺跡には大規模な
寺院や神殿が存在し、
ミューズの神殿である
ミューゼイオンが建ち、
付属機関の大図書館も
存在したかも知れません。

豊橋公園のアリーナ建設で、
大した事のない出土品が
見つかったとしても
工事を進めると言っており、
何を基準に重要度の判断を
行うのでしょうか。

豊川市からの返答も無く、
公的価値を棄損しかねない
問題であるはずなのに、
動かない理由は何でしょう。

世界的な価値が眠っている
可能性が相応にあるのなら、
日本がおろか世界各地に
研究内容を伝えた上で、
総合的な判断を仰ぐべき
責務があると思っています。

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