導き稲荷

吉野の金峯山寺の足下に、
小さな稲荷社が存在しています。

1333年、後醍醐天皇が夜中に
吉野に逃げる途中に道に迷い、

むば玉の暗き闇路に迷うなり
我にかさなむ三つのともし火

と詠むと一村の紅い雲が現れて、
吉野への臨幸の道を照らして導き、
その稲荷を勧請した神社だそうです。

これは伏見稲荷の伝承に近いですが、
史実ではなく何らかの意味があり、
伝承されてきた感は受けますね。

稲荷は稲なので日の光が輝く
農耕的な雰囲気を漂わせますが、
これ以外にも死者や夜に関わり、
夜を照らす灯籠にも関係します。

農業自体が土の中に種を蒔くので、
農業を死者の国である地中と
現世の地上をまたぐ儀式とするのは、
ギリシャなどに存在したようです。

伏見稲荷と類似した後醍醐天皇の
稲荷伝承が他でも残されるなら、
伏見稲荷の後醍醐天皇稲荷伝承は
オリジナルでない可能性があります。

稲荷は東三河の南朝において
決定的に重要な位置付けがなされ、
その中核にあるのが豊川稲荷です。

伏見稲荷から東三河に稲荷を
勧請したとされてはいますが、
ここには色々な疑問があり、
豊川稲荷には後醍醐天皇の信仰した
ダキニ天が堂々と祀られれています。

伏見の後醍醐天皇伝承はダミーで、
豊川稲荷の後醍醐天皇の歴史が
隠蔽された可能性を探るには、
ここだけを特別に掘り下げないと、
簡単に否定されうる状況にあります。

南朝の根幹に関わるのが稲荷なので、
豊川稲荷は特別に枠を設けて
取り組まないといけませんね。

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