吉備真備の陰陽道と行基の修験道

行基と橘諸兄の関係が深かったなら、
彼らの関係は政治に止まらず、
宗教にまで関与したのでしょうか。

橘諸兄の下で吉備真備が出世し、
広嗣に非難されたとされますが、
真備は陰陽師であり行基が修験者なら、
同じく密教領域に関わる霊能者となり、
通じ会う部分が多かったのでしょう。

吉備真備は吉備の国出身ですが、
桃太郎の鬼退治伝承が残されており、
吉備津彦神社には原型ではないものの
花祭の継承がなされてきています。

吉備津彦神社の枚は花祭と同型で、
奥三河と同じ花祭であった可能性は
非常に高いものがあります。

橘諸兄は葛城王とも呼ばれており、
役小角と関係する葛城の一言主神を
信仰していた可能性は高いでしょう。

行基は一言主神についても言及しており、
孔雀王と同体としているのですが、
修験と深い関わりのある行基であれば、
葛城との関係も深かったのでしょうか。

孔雀と言えばアショーカ王の王朝が
マウリア(孔雀)王朝とされており、
ここは岩戸開きの本に詳しく書きました。

一言主神と雄略天皇(ヤマトタケル)が
関係しているとする研究については、
『平将門の深層』に書いておきました。

吉備真備は後に賀茂氏を名乗り、
陰陽道に影響を及ぼしますが、
役小角も加茂役君と呼ばれます。

体制側の呪術として発展した陰陽道と、
体制側から外れた修験道の流れを汲む
行基の仏教の流れに相関性がありそうです。

『ええじゃないか』の核心部分が
秋葉信仰にある事は本にしましたが、
秋葉寺の創建は行基とされています。

体制から迫害を受けた先住民族祭祀を
どの様に継承するかの問題に、
行基と橘諸兄、吉備真備の三者は、
多大な貢献をしたのかも知れません。

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