久米田池

行基は十四年かけて久米田池を掘り、
この時に工事に関わる人達に対して
用意された場所が久米田寺とされます。

久米田寺を見ると巨大さに圧倒され、
この時期にこれだけの規模の工事を
行えるだけの知識と技術があった事に
驚かされる景色ではありますね。

橘諸兄の古墳の前には池があり、
ここを掘った土で古墳を盛った
痕跡を見る事が出来ますが、
久米田池を掘った大量の土を、
どうやって処理したのでしょう。

久米田古墳群も巨大構造物ですが、
これだけで土の処理が出来るだけの
面積を遥かに越えた池なので、
もっと古墳があった可能性も
あるような気もします。

ピラミッドなどの解明されていない
高度な建築に関する技術の存在は、
ロストテクノロジーになっています。

土師氏は古墳を造営していた氏族で、
菅原道真も土師氏の出身ですが、
書ける事はあってもテーマから外れ、
行基の後で天神信仰について書く時に、
土師氏の詳細を書こうと思っています。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする