詩経と雛飾り

詩経の「二子乘舟」では、
二人の子が船に乗る姿を
想像する事が出来ます。

二子乘舟 汎汎其景
願言思子 中心養養

二子乘舟 汎汎其逝
願言思子 不瑕有害

赤塚忠氏はこの詩の解釈を
河川の神を祭る詩としており、

かつては初春の増水期の前に
河川が暴威を振わないように祈って、
人身犠牲はともかくも、
さまざまな物をささげる
河川の祭礼があったが、
それが若い女たちが人形を河に流す
年中行事となって遊戯化した。

と河川の神に二人の人形を捧げ、
汎濫しないように祈った時に
唱われた物としています。

日本にも人形を川に流す事で
無病息災を願うこの習俗があり、
流し雛や雛飾りの原形であると
指摘されているのですが、
説の正否は分からないものの、
興味深い話ではありますね。

普通に子供達が船出をした時に
祈りを捧げた物とも見れますが、
日本でも自然界の脅威に対して
犠牲を捧げ鎮めようとした話は、
残されているにはいますね。

自然との調和と言うと
聞こえは良いものですが、
科学技術の発達によって
支配した気になっている
傲慢さはありそうです。

巨大地震や火山の噴火など、
人間など簡単に死んでしまう
災害を与える事も出来るのが
自然の力でもありますが、
神道でも荒御魂や和御魂など、
両面を伝えています。

母なる大地とは言いますが、
怒らせると恐いのであれば、
まさしくオカンに悪寒ですね。

自然との関わりを見直すために
年中行事が行われたとすれば、
様々な文化遺産の見直しにより、
重要な意義を発見出来そうです。

三百遍以上もの詩の中に、
理解されずに埋もれた
失われた古代の精神が
存在している可能性は
高いのではと思われます。

私個人の研究でその全ての価値を
引き出し得るとは考え難いので、
神道や歴史関係者の中から
研究の流れが出てきてくれる事を
期待して記事を書いています。

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