赤井真氏の『二松学舎大学論集』の中にある
「詩経に於ける渡河の『輿』詞とその展開に就て」
に記された水神祭祀の記述を紐解くと、
その目的は水神を祭り
穀物の豊饒を祈願する
予祝儀礼に使用された
呪術的模倣・演出行為を伴なう
請雨儀礼に使用されたものであった。
祭礼の場では多く
呪術的模倣儀礼が為されたが、
そこでは必ず神聖な歌謡が謡われ、
それは多く素朴ではあるが、
歌劇詩としての構成を為すものであった。
と水神祭祀に歌や演劇が伴い、
農耕に用いられていたとしますが、
雨水の大切さは干魃があれば
嫌と言うほど分かる事になるので、
祭祀で大切さを思い起こせますね。
家井真は「匏有苦葉」の詩について、
済水の男神を祭る渡河を伴う
呪術的模倣儀礼の場に於いて、
男女がその儀礼の展開されて行くに従って、
傍らで唱和した詩なのである。
唯、「漢広」「蒹葭」二篇が、
河神に扮した者が主人公であるのに対し、
此の詩では直接的に河神が登場する事はないが、
乙女が待ち慕うものはやはり河神なのである。
そして、それは済水の渡し場を舞台として、
乙女と若者と渡し守とを出演者とする
歌劇的構成を為す。
としており河神の祭祀に何種類か
存在している事を指摘しています。
赤井氏は本来の河渡儀礼は水をもたらし
穀物の豊穣を齊す河川を祠る予祝儀礼で、
後に多産的呪力が男女の多産を目的とする
婚姻・恋歌に使用されていったとします。
殷代には水神を祀る詩であったものが、
後に祭祀への理解が欠落していく事で
別の意味で用いられる様になったのは、
他の詩にも見られる話のようです。
神への祭祀に恋焦がれる要素があり、
これが後に夫婦関係や恋愛などに
解釈されるようになったのなら、
古代の自然界の神々との関係は、
思慕の念が根幹にあったのでしょう。