天筒花火発祥の地は
幾つか候補がありますが、
今川領内に限られるので、
このエリア周辺ですね。
夜から地元の天筒花火が
開催されるのですが、
その前に神社で三回
花火が上げられます。
花火が終わると消防団が
上に向かって放水しており、
これも御神事かと思ったら
火事対策だったそうで、
嘘をつかれたら珍妙な説を
立ち上げている所でした。
京都で晴明神社の場所を
教えてもらったところ、
全然違う方向を言われ、
京都人こええと思った事が
かなり前にありましたが、
京都は二層構造のようです。
地元の祭は晴れ晴れして
地域で楽しくやっており、
小難しい事を言っている
私の説より遥かに良い
実体験が味わえますね。
地元の人間関係の健全度に
大きく貢献する祭ですが、
神との関わりの健全度も上げ、
天筒花火は出雲神スサノオに
密接に関わっています。
徳川家康がこの地域に対して
火薬の使用を許可した事から
天筒花火が隆盛しましたが、
家康の本にも書いた通り、
昔の事を知っていた様です。
と言う事は出雲の御神事も
この周辺から推察していくと
分かる事がありそうですが、
出雲は若干暗いイメージが
ついて回ってはいます。
地元にこんな素晴らしい祭が
継承される事となったのは
家康様々ではあるのですが、
出雲のイメージを払拭する
独特の美しさがありますね。
浜松方面に行くと祭が命で、
浜松・岡崎の祭は盛大なのに、
中間の豊橋は火が消えた様に
祭の力の入れ具合が弱いです。
本来は鬼の祭のメッカであり、
様々な祭があったはずですが、
日本の中心地で祭が弱いのは、
この国の精神文化の雛型を
見ている気分になります。
神在月には全国の神々が
出雲に終結していますが、
本来は三遠に集まって
祭礼をしたのでしょうか。
この周辺はメルマガ読者と
実地で回っていましたが、
全国から神々が集まるなら、
日本列島の中心地ですね。
出雲と三遠式銅鐸圏の
関係性の研究については、
今のところ私の本意外は
見る事が出来ていません。
本来の姿を取り戻すには、
豊橋に限定されない全国区の
参加体制を復興させる事に
意義が見出だせそうです。