科学と誠

科学と誠を同一に論じるのは
奇異に感じると思われますが、
物理学者でノーベル賞受賞者の
リチャード・ファインの言葉に
誠の概念を見る事が出来ます。

ある概念を理解しているかは、
入門講座が出来るかどうかで
決まると発言をしたそうです。

専門用語で誤魔化す事なしに
分かり易く伝える方が難しく、
さも難しい様に語るのは、
それほど頭が良くなくても
出来ると言う事ですね。

これが誠と関係するかと言えば
若干は関わっては来るのですが、
これは一般的に言われる話で、
もっと大事な事を語っています。

彼は若い科学者に向けた講座で、
一番のルールは自分を欺かない事、
そして一番欺きやすい人間は、
自分であると語ったとされます。

自らを欺かない事を誠と言い、
『中庸』での根幹的な概念です。

誠は天地に通じる姿勢と関わり、
小宇宙である人が大宇宙と繋がる
必須要項とされていたのであれば、
一流は科学であれ政治であれ、
共通する物がありそうですね。

アレクサンドリア大図書館は
ミューズの神殿の付属機関で、
科学的発見にミューズ女神の
インスピレーションがある事が
研究者の間で語られています。

研究に神々に通じる姿勢が
重要であるとする考えは、
現代においても有効性が
失われていないのでしょう。

潜在意識と言われたりしますが、
宇宙と通じる精神状態であれば、
様々な着想が得られそうですね。

科学と言うとトーマスエジソンが
取り上げられる事が多いですが、
彼は特許でえげつない事をしたり
ニコラテスラに意地悪したり、
様々な所で悪害を残しています。

欲のために科学を用いる事で
破壊的な影響を及ぼすなら
黒魔術と変わりありませんが、
現代版錬金術は魂の堕落に
深く関わっていそうです。

優れた技術も使う人如何で
その価値が変わるのであれば、
誠こそ基礎に置かれるだけの
価値を有する物なのでしょう。

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