やっと農耕祭祀の本を、
出版する事が出来ました。
急いで書きあげたので
結構苦労しましたが、
ブログで書いていても、
本を書くのは別物です。
マトモに歩けない程に
ガタガタになる以外に、
呼吸すらキツい状況に
陥ってもいたので、
やっと解放されます。
菅原道真の本の執筆中なのに、
邪馬台国の本を出版する等の
頭の狂った事をしているので、
無茶し過ぎ感はあります。
東京に行った時に
温泉に入りましたが、
周りよりガリガリで
驚いた事があって、
身を削ると言うのは
比喩では無いですね。
弥生時代の農耕の在り方が
どの様な物であったかは、
殆んど分かっていません。
しかし銅鐸の本を書いた
経験から言わせて貰うと、
優れた農耕祭祀が存在した
可能性が高いと言えます。
何故か縄文ばかりが
持て囃されており、
イメージが先行して
言いたい放題ですね。
ただこの本の中には、
弥生以前の倭国が、
非常に優れた文明を
保持していた説も、
書き込んであります。
儒教も逆輸入的な所が
ありそうな気配があり、
儒教を嫌う神道家の
背景が気になります。
地域文化の復興には
祭の理解が不可欠で、
ギリシャやエジプトに
通じる要素を調べると、
色々と復元出来そうな
領域が見えて来ます。
江戸時代の農作業が、
楽しみながら行われた
議論がありましたが、
具体的な中身は不明で
実地では使えません。
しかし青銅器時代に、
ギリシャ文化の流入が
あったとするのなら、
原型となり得る物を
探る事が可能です。
ヘレニズムにおいて、
高度な科学的な研究が
なされた事については、
私が云々言う以前から
明確にされています。
しかし宗教と農業には、
見る所が皆無であったと
考えられている状況で、
ここにメスを入れました。
古代の農耕の在り方は、
現代で考えられている
苦役とは全く異なる、
村中で天照大神と共に
賑わう祭であったなら、
どうなるのでしょうか。
地方移住で自給自足を
考える人が増えても、
地域文化が問題なら、
農作業も助けて貰えず
村八分で孤立します。
現代で自然農と言っても、
太陽の恵みと言う様な
抽象的な話になって、
太陽神と共に行われる
農耕とは異なりますね。
穀物の女神への扱いが
豊作か不作かに影響し、
農作業の全般に渡って
この女神が関わります。
これを村中で熱狂して
取り組んでいたなら、
堅苦しい信仰ではなく
牧歌的で人間性豊かな
地域文化となりますね。
花祭の全体像の復元にも
この問題が関わっており、
現代まで継承されて来た
花祭の世界的な価値に、
見直しが入れられます。
西洋列強が広めた
自然界からの搾取は、
世界的な問題です。
この次に来るべき物が
何なのかについては、
未だに答えを出す人を
見た事がありません。
この太陽神の国から、
世界を救う動きを
出していけるのなら、
素晴らしい事でしょう。
農家の減少が進む中、
どうすれば良いかを
考えている人達に、
大きなヒントとなる
一冊になったのではと
自負している所です。