夏至の参拝

昨日は早急に夏至についての
記事をアップしましたが、
今日は人里離れた例の地に、
約束通り参拝に行きました。

面白い事に夏至のポイントで、
ピタっと嵌まった様な感覚で
来たなと分かる経験をして、
独特な意識状態になりました。

瞑想状態に近い感覚なのか
詳しくは分かりませんが、
脳波は変わっていたのか、
色々と感覚が変わります。

未来のビジョンを受け取る
感覚がこんな感じなのかと
個人的には思いましたが、
古代祭祀から見てどうかは
判断する材料がありません。

ただ一分程度の参拝なのに、
終わった後は歩けない程に
ガタガタになっており、
かなりの色々と背負った
身体感覚になっていました。

そう言えば南朝の皇子達は、
ハードな修験道の修行を
行っていたそうですが、
修行をしないと国家祭祀に
耐えられないのでしょうか。

スピリチュアル関係者とも
話をする事がありますが、
社会的責任の伴う話だと、
キツそうな表情になって
何も動かない事がります。

耳触りの良い事を言っても、
実質的には格負けしている
状態に見える事があり、
修行不足と言う所でしょう。

大々的に出したい内容ですが、
私もここに関わった事じより
酷い目にあった経験があり、
他の関係者に話しをしても、
良く無い事を多く聞きます。

危険な団体が絡んでいたり、
下手に情報を流す事による
被害が想定される所もあり、
人を見て話をする感じです。

奈良の三輪山は入山前に
社務所で祓をした後に、
登山の出来るシステムが
整備されているのですが、
事前にこう言う類いの話を
クリアするのも大変です。

関わりたい人がいれば、
話をする事は可能ですが、
色々と具体的な話をして
責任を背負える姿勢か、
見る必要があります。

何か問題が起こっても、
私が対応出来る保証は
一切無い前提の話しで、
死んでも自己責任です。

と言うか本来の国家祭祀は
命掛けの領域であって、
政治と祭祀が一体であれば、
政治に関わる事と同義です。

口先だけで聞こえの良い
話をする政治屋はいても、
腹を切る覚悟のある人は
どれだけいるでしょう。

私も登山中に死にそうな
状況になった事があり、
山は自己責任の世界です。

登山中に危険な団体が
儀式をしている所に
遭遇でもしてしまえば、
殺されて遺体を山中に
遺棄されるリスクすら、
存在している世界です。

アショーカ王の仏教では、
生死を超えた大道を元に
神々と共に政治を行う
思想が書き残されており、
こう言う感覚が無いと、
無理な領域なのでしょう。

写真は撮って来ましたが、
公表するには支障があり
知り合いに送っています。

まあ飽海遺跡の話ですらも
取り扱わない人であれば、
資格があるとも思えません。

伊勢と関わる問題なのに
取り上げていない時点で、
伊勢に参拝する資格が
あるかすら微妙ですね。

ここより更に根の領域に
関わる話であるのなら、
誤魔化さずにやる事を
確りとクリアした後に、
参拝するのが吉でしょう。

私が参拝される側であれば、
必死に訴えたのにスルーし
何をしに来たのかと言う
覚えの悪い対応をしかねず、
開運は難しそうでしょう。

未来のビジョンが朧気にでも
見えて来た感じはしますが、
詳しい事はサッパリですね。

今後どう影響して来るかを
期待させられる参拝で、
行って良かったと思います。

夏至に祈ってみた人なら、
何かを受け取ったような
感覚は無いでしょうか。

あるなら是非聞かせて頂き、
自分の感覚の見直しにも
活用させて欲しい所です。

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