神道とは何か

江戸の神道を研究していくと
キリが無い事が分かって来て、
そろそろ区切ってアップしても
良さそうな感じもしています。

神道こそは日本の一大テーマで、
正月に初詣に行くか祭り程度しか
神社を認識する事が無くなって、
神道の概念もアヤフヤな状態です。

しかし江戸時代には神社でも
般若心経が唱えられており、
神主も密教を修行した霊能者で、
神は信じるのではなく対話する
対象ともされていましたね。

明治政府の神仏分離により仏教色を
廃除した物が今の神道とされますが、
伊勢の内宮にも密教が深く関わった
時代が存在した話は殆ど出ません。

昔は伊勢の地にも多くの寺院があり、
これが消えたのは江戸時代です。

神仏習合の世界観においては、
現代と異なる認識が余りに多く、
自然界との関わりも異なります。

開山と言うのも山の神と交渉し、
山に建物を建てたり修行をする
許可を貰う行為であったので、
当然修行をした霊能者であった
役小角や空海が関わっていました。

自然を開発する行為も人間の都合で
自然界から見たら云々と言う話が、
仏教で語られると言う話を聞くと、
何宗なのかが気になってしまいます。

自然を開発すると言う思想自体が
自然を征服する対象として見る
一神教的な物をベースにしており、
山や川の神とどう関係を築くかは
儒教での一大テーマでもあります。

江戸時代には儒教を教える寺も
存在していた事が知られており、
神道と儒教が習合していたのが
江戸初期の神道の特徴とされます。

神道と言うとアニミズムであったり、
自然との関係をうたう物もありますが、
本当にこの様な物だったのでしょうか。

国家神道が戦争に用いられた事で
神道の見直しも行われましたが、
これはあくまで表層的な見直しで、
深層までは至っていない可能性が、
どれだけあると思われるでしょうか。

戦後に天皇が象徴天皇となった事で
神道から政治色が抜けた事もあり、
神道についての自由な研究が進み、
ニギハヤヒ等の神武天皇以前の
領域まで話が進んで来てはいます。

しかし私はこのニギハヤヒ論すら
未だに危険な影響下にある物を
ベースにしている危惧があり、
艮の金神においては尚更です。

神や太古の世界の話になると、
裏が取れないのを良い事に
捏造したい放題な気配が漂う
怪しいジャンルになっている
可能性は無いのでしょうか。

歴史書の著者が精神世界の棚に
置かれるのを嫌がった話があり、
未だにジャンル的にこの範疇に
収まっている印象を受けます。

バカを騙して儲けようとする
詐欺ビジネスならまだマシで、
背後にもっと大きな問題が
蠢いていれば危険な話です。

地下鉄サリンもこのジャンルから
出て来た物ではあるのですが、
オウムの見直しだけでは弱く、
遥か以前から危険な宗教行為が
継続していたらどうでしょう。

この問題から完璧に自由になって
活動していると自負出来るなら
それでも良いかも知れませんが、
もし見たくないとスルーするなら
危険性の認識はあるのでしょう。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする