・家康の呼称に「僕射」が用いられており、
「丞相」ではなく「僕射」を用いたのは
家康を射る意味で不吉であるとの主張。
・「国家安康」は家康の間に安を挟んで
国家を分断する意味が含まれるだけでなく
家康の腹切りを意味しているとの主張。
・「君臣豊楽」は豊臣を君とし繁栄を楽しむ
徳川を呪詛する表現であるとの主張。
この三つが羅山により家康に進言され
豊臣を滅亡させる根拠となった事で、
林羅山を権力者に阿(おもね)る
曲学阿世の学者であるとする批判が
広められる事になったそうです。
余りにも強引な主張であって、
普通では容認されないレベルの
主張を受け入れた家康にまで、
飛び火しそうな内容ですね。
しかし当時の羅山の立場は低く、
本当に羅山がこれを言ったのかに
疑問を提唱する研究者もいます。
この周辺を探っていくと羅山を
敵視する勢力の存在を想定する
必要が生じて来る事になります。
豊臣に関しては京都に行って、
もう一回は秀吉関係の神社に
参拝してから書きたいのに、
中々寄る機会が作れません。
素通りして大阪や兵庫に行き
余裕がないので直帰する事が
殆どであったのが残念で、
詳しく書くにはまだ足りない
領域があるのは自覚済みです。
方広寺鐘銘事件が起こされる経緯で、
羅山は勘文(かんもん)と呼ばれる文章で
三つの問題を主張したと言われています。
・家康の呼称に「僕射」が用いられており、
「丞相」ではなく「僕射」を用いたのは
家康を射る意味で不吉であるとの主張。
・「国家安康」は家康の間に安を挟んで
国家を分断する意味が含まれるだけでなく
家康の腹切りを意味しているとの主張。
・「君臣豊楽」は豊臣を君とし繁栄を楽しむ
徳川を呪詛する表現であるとの主張。
この三つが羅山により家康に進言され
豊臣を滅亡させる根拠となった事で、
林羅山を権力者に阿(おもね)る
曲学阿世の学者であるとする批判が
広められる事になったそうです。
余りにも強引な主張であって、
普通では容認されないレベルの
主張を受け入れた家康にまで、
飛び火しそうな内容ですね。
しかし当時の羅山の立場は低く、
本当に羅山がこれを言ったのかに
疑問を提唱する研究者もいます。
この周辺を探っていくと羅山を
敵視する勢力の存在を想定する
必要が生じて来る事になります。
豊臣に関しては京都に行って、
もう一回は秀吉関係の神社に
参拝してから書きたいのに、
中々寄る機会が作れません。
素通りして大阪や兵庫に行き
余裕がないので直帰する事が
殆どであったのが残念で、
詳しく書くにはまだ足りない
領域があるのは自覚済みです。