垂加神道の教育方針

山崎闇斎の厳格さは江戸時代を通じて
語り伝えられたとされていますが、
江戸後期に原念斎(1774〜1820)が
儒学者達の逸話を『先哲叢談』に記し、
未婚で欲惰を押さえられない時があるが、
闇斎の顔を想像すると即座に引っ込むと
門人が語った話が掲載されていますね。

闇斎と門人は師弟より君臣関係に近く、
講義の声は鐘を撞いた様な大きさで
怒っているかの様な険しい表情をし、
門人たちは顔を挙げて話を聞く事が
出来なかった事が記されています。

これだと疑問を挟む事も許されず、
問題点を指摘したら破門される
険悪な空気が支配していた事が、
想像出来るのではないでしょうか。

上への絶対的で盲目的な服従に
朱子学と異なると言った事で
破門された話もあるそうなので、
一方的な洗脳の感を受けます。

世間での評判が悪かった事は
ある程度は察せらるのですが、
羅山と並んで批判されており、
相手の足も引っ張っています。

自由闊達な学問的解放感は
羅山側の方が強そうですが、
お上の権威への盲従の強要は、
戦後教育にも通じていますね。

これを学問と言うなら余りにも
貧困過ぎるイメージであって、
優れた人物を輩出する土壌とは
到底言い切れない物があります。

大量生産時代の奴隷教育では
時代に合致していませんが、
江戸の学問が見直されれば、
議論も大きく変化しそうです。

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