勝樹の皇上帝信仰は数年後に、
大乙神信仰に発展しています。
「年譜」は寛永十七年33歳の時、
性理会通ヲ読ミ発明ニ男ジテ、毎月一日斎戒シ大乙神ヲ祭ル
とした上でこの祭を晩年まで
継続した事が記されています。
性理会通は朱子学の性理学の諸説を
閲覧出来る著作群とされますが、
大乙神は儒教に登場しない神です。
大乙は天地・万物の生じる根源や、
天を主宰する北極星の神格化とされ、
いかにも古代中国的ではありますが、
彼の思想を見るとこの神は中国的な
信仰対象では無かった感じです。
まあ皇上帝の段階で儒教的でなく、
この延長線上にある信仰であれば
一神教的な可能性が高いですが、
実際にその通り道の信仰です。
朱子学と言いつつ朱子学的でなく、
素人騙しでなければ通用しない
強引な展開な気もするのですが、
これは朱子学者ではなく庶民を
対象に広められた物のようです。