伏見稲荷大社境内に鎮座する東丸神社には、
荷田春満(かだのあずままろ)が祀られます。
江戸時代中期の国学者・歌人とされ、
賀茂真淵・本居宣長・平田篤胤と共に
国学の四大人の一人とされていますが、
賀茂真淵の師匠に当たります。
伏見稲荷大社の境内に荷田春満旧宅があり、
父が伏見稲荷の社家で御殿預職とされますが、
神職は継承せず古典の研究に没頭します。
父は羽倉信詮(はくら のぶあき)であり、
母は細川忠興の家臣深尾氏の娘貝子です。
荷田春満は契沖の『万葉代匠記』等を学び、
万葉集・古事記・日本書紀などの古典研究の
基礎を築いた事が国学の発端となっており、
日本古典から儒教的・仏教的解釈を排除する
復古神道への流れを出した人物とされます。
享保十三年(1728)には江戸幕府に対して
『創学校啓(そうがくこうけい)』を献じ、
徳川吉宗に国学の学校建設の必要性を
訴えた人物としても知られています。
これは儒教中心の教育方針を変えて、
国学を中心とする教育をするように
提言した書とされてはいますが、
始めは幕府の神道・儒教教育の
マイナーチェンジから着手し、
少しずつ自陣に取んでいますね。
伏見稲荷と言えばメジャーな神社で、
ここに国学の流れを作った人物が
入り込んでいたとするのであれば、
神道界にこの流れを作るための
組織的な動きが入り込んでいた
可能性を示唆していそうな話です。
伊勢にも出口延佳が入り込んでおり、
神社界に水面下で勢力を伸ばしていた
勢力が江戸幕府を転覆させるために、
宗教への工作を行っていたとしても、
荒唐無稽では無い可能性が高そうです。
近代日本でも統一教会や創価学会が
政界に大きな影響力を発揮していて、
建前は別として政治と宗教の間に
密接な関係が存在しています。