現代の大図書館

エジプトのプトレマイオス朝には
アレクサンドリア大図書館が建てられ、
高度な学術がなされていた事は有名です。

王が賢人を呼んで様々な議論をした内容が
文献に残されているのですが、
女子会で何を言われているか知らずに
女の愚痴を言い合っているような
上から目線の議論もなされており、
現代にも通じる事が書いてありますね。

エジプトのピラミッドには
最近の若い者はと書いてあるそうで、
この一文と老害は昔からペアで、
時代が変わっても似た話が多いですね。

孔子は若者は追い抜かしてくる可能性があるが、
四十・五十になって名も知られていなければと
年配者に対して戒めを語っています。

歴史を学ぶ事で気付く事があれば、
同じパターンを繰り返さずに済みますが、
学校の歴史は無味乾燥で実地にいかせず、
論文を書かせたり議論させる事もないので
何のための授業か微妙なところがあります。

蔵書量のみあっても議論が脆弱であれば
知識量が増えても使えないリスクがあり、
寺子屋でもアカデメイアでも
討論が重視されていたようです。

飢餓などの有事も一度経験しておけば
次から違った対応をするのでしょうが、
先人の残した歴史から学ぶ事が出来れば、
初めて飢餓を経験したとしても、
知らないよりは有利に事を運べるでしょう。

普段は善人のような素振りをしながら
何かあった時にメッキが剥がれるような
薄い人材を育成するのが教育ではないので、
平時も有事も役に立つ学問の基礎から
見直していく必要はないでしょうか。

豊橋市は図書館を新築している最中で、
巨大な施設を作っていますが、
アレクサンドリアでの学術の質の高さは、
文献の量のみで得られた訳で無い事は、
今までの記事で分かると思います。

江戸時代の寺子屋も高度な水準だったので、
もう一度、教育の本質を見直す事で、
知識を活かせる真に価値のある人材の育成も
同時に必要な時期だと思っています。

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