志多羅神事件と平将門の乱

志多羅神事件の時代は平将門・藤原純友の乱があり、
貴族から武士の世に切り替わる歴史の転換期でした。

豊橋の飽海神戸神明社は平将門の乱の平定に際し、
朱雀天皇により伊勢の神宮に寄進されたとされ、
ここにも平将門が関わってきていますね。

『平将門の深層』を執筆した時点では、
ここまで様々なものと深くリンクするとは
流石に考えてはいませんでした。

壬申の乱の天武天皇の時代も朱雀と呼ばれ、
この時代に神明社が建立されたとする説は
既に提唱してはあるのですが、
柿本人麻呂もこの周辺に関わるようで、
調べる程に謎が増えてきています。

どうも平将門の乱は先住民族の影を感じさせ、
力で押さえてきた亡霊の逆襲の恐怖からか、
体制を崩しかねない反乱として扱われて
是が非でも抹殺すべき対象とされたのか、
一地方の反乱扱いではなかったようです。

この頃は政策の失態に起因する財政難のツケを
地方に重税を課して凌ごうとしたとする話があり、
かなりエグい扱いがなされていたと聞きましたが、
ここで地方の決起の成功事例が出てくる事で、
全国へと飛び火する危惧があったのでしょうか。

ここで持ち出された志多羅神や天神の存在は
時代の節目に社会的な変革を期待される神であり、
この信仰が「ええじゃないか」に繋がるなら、
やはり志多羅神上洛事件は三遠と関わり、
古代王権の神々にまで連なっていそうです。

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