吉田神道と国常立尊

伊勢の外宮で祀られる国之常立神は、
『古事記』では神世七代の最初に生まれ、
『神皇正統記』では原初の神とされます。

二つの記述を比較すると格の違いは明白で、
なぜ格下げされた位置付けとされたのでしょう。

神道五部書は古事記をベースとしつつ、
それとは違う要素が存在しているのは、
根本的に系統が違うのでしょうか。

中世神道の最後を飾る吉田神道が
『神道大意』で説いている神は、
国常立尊とされています。

吉田神道には伊勢神道の影響が濃く、
吉田兼俱の著作には神道五部書の
『倭姫命世記』『神祇譜伝図記』
『神皇実録』等から引用がなされ、
「元本宗源神道」の「元本」が
伊勢神道の「元々本々」に基づいています。

吉田兼俱は『神道大意』でこう述べます。

夫れ神と者天地に先て而も天地を定め、
陰陽に超て而も陰陽を成す、
天地に在ては之を神と云ひ、
万物に在ては之を霊と云ひ、
人倫に在ては之を心と云ふ、
心と者神なり、
故に神は天地の根元也、
万物の霊性也、人偷の運命也、

神道と者心を守る道なり、
心動く時は魂魄みだれ、
心静る時は魂魄穏なり、
是を守る時は則ち鬼神鎮なり、
是を不守時は則ち鬼神乱て災難をこる、
之を守るの要は、
唯己の心の神を祭に過たるはなし、

神道の本義は「心地修行」にあるとし、

神道有内清浄・外清浄也、
内清浄ハ、心地修行也、
外清ハ、神前ヲ酒掃也

『日本書紀神代巻抄』

と伊勢神道にも通じる清浄を重視しますが、
国常立尊の存在を更に押し上げ、
人間も含む天地の霊性そのものしました。

第一国常立尊、神皇実録云、
是神無名之名、無状之状也、
在天元気之元、在地一霊之元、在人性命之元、
故名大元尊神云々

人々挙足下足、行住坐臥、造次転沛、尽是国常立尊也

国常立尊は天地生成の根源神であると同時に、
天地閉闢より今日まで不変常住に遍在し、
天地を天地たらしめ、人間を人間たらしめる
「一者」として定義付けされました。

畢竟ハ国常立尊ノ一神ニ帰スルホトニ、
一代即十代、々々々即一代也

と全ては国常立尊一神に収斂され、
心を清らかに平静に保つことによって
根源の国常立尊との合一を果たす事が、
吉田神道の教理の根幹にあるようです。

これはタオと一体化する道の教えにも通じ、
古代世界においては普遍的な思想ですが、
鬼道に源流を持つ伊勢神道から波及した
吉田神道にこの思想があるのであれば、
鬼道にもこの概念が存在したのでしょうか。

豊橋の吉田の地名が吉田神道と関係する説は
『豊橋三大祭の深層』に書いてありますが、
鬼祭の鬼こそが国常立尊であったのでしょうか。

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