津島神社に参拝に行きましたが、
実際に行くと色々と情報が得られ、
何かと書きたい事が出てきますね。
津島神社はスサノオが韓国に渡った時、
荒御魂は出雲國に鎮まり日御崎の神となり、
和御魂はB.C.245年に對馬州に鎮まった後に
欽明天皇元年(540)にこの地に移り、
弘仁元年(810年)に正一位の神階と
日本総社の号を奉られたそうです。
今まで歴史を研究している立場から、
壬申の乱以前から存在した神社で、
乱の後に日本総社の名を受けたと
伝承される背景を探りたくなります。
津島が対馬に由来するとしても、
対馬はそこまでクローズアップされず、
何故この地に総社があるのかの根拠は
不明瞭な状態になっています。
B.C.245と言えば徐福渡来の時期に近く、
徐福の影が暗示されていそうです。
花祭の本には書いておきましたが、
対馬には謎の天童信仰が存在します。
天童と津島との関係は明示されておらず、
何かと隠されてい歴史が多そうです。
天童信仰は役小角と関係があり、
やはり壬申の乱との関係がある事は、
花祭の本に書いておきました。
津島も安曇族の痕跡が指摘されていますが、
やはり安曇族となると邪馬台国ですね。
卑弥呼の鬼道との関係が出てくるとすると、
やはり津島の神楽も花祭に通じていそうです。
鬼道と徐福の関係は東三河の徐福伝承に書きましたが、
牛頭天王にも繋がる可能性もありそうです。