津島神社で祀られる牛頭天王は、
牛の頭に二本の角が生えているので
鬼神を意味する可能性もありますが、
別の角度からも見てみましょう。
牛頭天王はスサノオの別名とされますが、
天に上ったスサノオと天照大神が対立し、
ウケヒの儀式でスサノオが生んだ神は
宗像の三女神とされています。
北九州に宗像大社が存在しますが、
邪馬台国の場所を北九州とする説があり、
ここを拠点としたとされる安曇族は、
様々な地に鬼の祭を残しています。
宗像三女神は水の女神であり、
海洋民族であった安曇族の神として
相応しい存在であったのでしょう。
津島は半島との中継点の対馬が語源で、
宗像大社との地理的な関係を考慮すると、
安曇族の祭祀と関係がありそうですが、
私のブログで安曇族と言えば邪馬台国で
鬼道とその流れにある花祭ですね。
牛頭天王が鬼神であったのならば、
花祭の鬼神も出雲の神々であり、
津島神社も出雲神を祀る神社として
苦難の道を辿る事となったのでしょうか。
渥美半島から陸路で津島に行くのは
電車でも時間がかかりますが、
海路を用いれば容易そうです。
豊橋から伊勢まで衣を運ぶ祭があり、
愛知から三重にかけてのエリアでは
安曇族が船を用いていて頻繁に交流し
想像する以上に関係が深かったのか、
三遠にも津島の痕跡は多くあります。
一説には北九州にシュメールの痕跡があり、
ペトログラフ等も発見されていますが、
海洋民族であるシュメール人が安曇族なら、
邪馬台国は高度な文明国であったのでしょう。
私は宗像三神をシュメールの創世神話の
水の三女神ではないかと考えていますが、
ティアマト・ムンムー・アプスーの
三女神の一柱ティアマトが海人の語源で、
これが二柱の弁財天の片方だと思っています。
天武天皇の別名は大海人皇子とされますが、
海人がシュメールに根拠を持つのであれば、
鬼道は未開のシャーマニズムではなく、
シュメールを研究する事で解明できる要素を
多分に含んだものだったのかも知れません。
世界に目を向けると角の生えた兜を
被っている絵が数多く残されていますが、
アレクサンダー大王も双角王と呼ばれ、
二本の角のついた兜を被っていました。
この周辺は『東三河の徐福伝承』に書きましたが、
秦の兵馬桶にギリシャ彫刻の影響があれば、
徐福王朝にアレクサンダー大王の影響が
皆無であったと言えない要素が垣間見えます。
鬼道とはグローバルな祭祀であり、
現代にまで継承されてきた花祭は、
日本のみならず世界史的な観点からも、
貴重な文化財なのかも知れません。