舞の国ヤマト

ええじゃないかに関して色々と書きましたが、
邪馬台国の鬼道から近代のええじゃないかまで、
時代の節目に舞が盛んになった流れを見ると、
舞う事により神に通じヤマトの魂に触れる事が
可能だと思われていた感を受けます。

鬼神の登場する花祭も奥三河に限定されず、
岡山県の吉備津彦神社にも花祭が存在した様に、
安曇族が各地に伝えた祭であったとすれば、
古代ヤマトでは神聖な舞が広域で舞われ、
太極拳のように動きを道と合致させる事で
優れた文化を生み出していったのでしょう。

舞の型が武術にも通じているのなら、
困難に立ち向かう姿勢もこれにより培われ、
人格の完成に一役買っていたのでしょうか。

花祭では長時間踊る舞も存在しますが、
成人になる通過儀礼だったのかも知れません。

昔の日本人は現代からは想像もつかない程の
身体的スペックを発揮してきた事例が多く、
食生活などの要素も関係してはいますが、
舞によるところが多かったと思われます。

原型に近い形で継承されてきたのが
奥三河の花祭のみであるとすれば、
この意義は大きいのではないでしょうか。

舞の継承により地域社会が協力しあい、
年齢や職業などの垣根を越えた
地域文化の創出に効果を及ぼしますが、
子供の教育ですら押し付け会う昨今、
地域全体で子供を育てる祭の文化は
もう一度見直すべきものでしょう。

人間が頂点に立ち自然を支配するという
奢った考えで地球を破壊してきましたが、
鬼神と共に悦び合う祭の存在は、
自然との関わりを見直させてくれます。

アメリカ追随に終わりを迎えた現状で、
ええじゃないかまで時代の節目に
古代の舞が隆盛してきたこの国に必要なのは
花祭の全国的な復興にあるのかも知れません。

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