三遠の古代史をテーマにしている関係上
徐福を題材にする事が多くなるのは必須で、
弥生時代以前の三遠の歴史については
余り扱ってきてはいなのですが、
浜松にも縄文遺跡が存在しています。
三方原台地の黄金遺跡は有名だそうですが、
私は最近まで聞いた事はありませんでした。
三方原は徳川家康が戦った事で有名な地ですが、
浜松城にいた頃にどれだけ古代の歴史について
認知していたのでしょうか。
『家康の暗号』と言うKindle本を出していますが、
家康が三方原の戦いで負けて逃げ助けてもらう伝承は
複数の地域にまたがる上に嘘が多いので調べると、
古代の歴史と関わっていた可能性が浮上してきます。
『浜松市太田遺跡緊急調査報告』にはこう記されます。
この遺跡は黄金遺跡、三塚遺跡のように
背後に広大生産の場(三方原台地)をひかえた
遺跡群のある時期のキャンプ地的性格の
遺跡ではないかと考えられる。
縄文時代からこの地に文明が存在していたなら、
徐福渡来以前から色々とありそうですね。
以前、東北の縄文遺跡を見に行った時に、
係の女性にどうやって当時の建物や生活を
特定したのか聞いた事がありますが、
研究者達の意見を平均した結果だそうです。
穴や土器が見つかった程度では、
建物の形状や当時の文化などについて
どこまで分かるかは難しいので、
研究にもデータと根拠を提示して
各人で検討できる説明が必要ですね。
ストーンサークルひとつとっても、
目的や使用方法や文化的背景など、
分からない事だらけです。
私は学術研究として進めているので、
縄文になると調査が非常に難しいですが、
この時代の日本は劣ったイメージか、
古史古伝に記された超高度な文明か、
両極端な話に二分され中間の研究は弱いです。
シュメールの航海技術の高さは
現代でも証明されていますが、
お隣の中国にも優れた文明があり、
安曇族が交易をしていた可能性を探ると
痕跡とおぼしき物が出てきますね。
神奈備信仰もピラミッドやジグラットの様に
神殿祭祀であった可能性もありそうですが、
三遠にも人工的に造られたとおぼしき
信仰の山が存在する背景は何なのしょう。
三遠の縄文時代のイメージまでは
明確化する事はできませんが、
分からないなら分からないなりに
ロマンが掻き立てられますね。
神から聞いたなり霊能力で知った等で
マウントの取り合いなどがあると
議論としての進みは悪そうですが、
様々な仮説を自由に出していった上で、
その真偽を検討していく流れが出るのは、
見ていて面白いコンテンツになりそうです。