謎の南朝天皇である長慶天皇は、
その実在が認められた時点で、
陵墓候補地が二ヶ所あったそうです。
長慶天皇陵を決定するための
臨時陵墓調査委員会が設けられ、
宮内省が七十もの候補地を挙げ、
長慶天皇陵をどう調査考証するか、
審議が始められる事となります。
長慶天皇陵の伝説は全国に跨がり、
南朝が広域に跨がっていた事が伺えます。
臨時陵墓調査委員会では五年七ヶ月をかけ
約四百箇所もの資料収集や現地調査を行い、
四十回を超す審議を重ねるも特定出来ず、
研究者の推理により嵯峨の慶寿院趾が
「現下」において正式とされた様です。
分からないのであれば正式とせず、
仮扱いされていれば良かったのですが、
正式が特定さえれば他が異端となります。
東三河にも長慶天皇の御陵墓とされる
大規模な前方後円墳が存在したのに、
道路工事で後方部が削られました。
メルマガ読者と参拝に行った時に
何かしら感じるところがあったので、
記事にする事を決意しましたが、
ここの掘り下げは深層に通じるので、
着実に歩を進める事にします。