南北朝時代の現代における認識を、
つぶさに検証しなおしていくと、
既存の概念が間違いである事が
明確になる部分が多々ありますが、
基本認識は司馬遼太郎により記された
以下の様な内容ではないでしょうか。
『司馬遼太郎の日本史探訪』
南北朝時代というのは、
何だろうということですけれども、
これはもう、小説にも書けない時代ですな。
小説に書ける時代というのは、
その時代そのものにモラルがある。
あるいはモラルに代わるものとして、
たとえば美意識でもいい。
鎌倉武士の畠山重忠にしても、
それから平家の平敦盛にしても、
・・・
南北朝時代になるとそれがないんですよ、
時代全体にないわけです。
もう功利社会そのものでしてね。
・・・
その時代が持っているモラルないし
美意識なりに乗っかっても小説は書けるんです。
あるいは、それに対して
パンチをくらわせるという形でも小説は書ける。
しかし何もない時代が南北朝でしょう。
ただあるのは利害関係だけという時代ですから、
なかなか書きにくい時代ですね。
『手掘り日本史』
なぜ小説にならないのか。
自分でもまだハッキリはわかりません。
断定はできないのですが、
これまで鷲尾雨工さんの
『吉野朝太平記』だとか、
吉川英治さんの『私本太平記』だとか、
多くのかたがこの南北朝時代を
小説に書かれています。
しかし、いずれも、
これを書き上げると仕事が衰弱するか、
亡くなってしまわれる。
南北朝について書き出すと、
作家はかならずくるしくなる。
なぜかというと、
みな水戸史観で訓練された目で
南北朝を見ようとする。
吉川さんも、残念なことに、
水戸史観を頼りに
この時代を見ておられます。
そういうわけで、非常にきらびやかな、
楠木正成などという人物が登場してくる。
後醍醐天皇の悲劇もある。
笠置を落ちていかれる道行きもある。
全部悲愴美に飾られているわけです。
ところが、その悲愴美は
水戸史観を通してこそ出てくるわけで、
通さなければこれは何でもない騒ぎなんです。
そう見ていくと、
これはおよそつまらない時代なんです。
ここで問題に挙げられているのが
水戸史観と書かれている内容ですね。
これは一般的には水戸学と呼ばれ、
『神皇正統記』を根拠に徳川光國が
『大日本史』を編纂した事に端を発し、
尊皇攘夷を経て太平洋戦争に繋がります。
司馬遼太郎は南朝の官学であった
朱子学についても言及しています。
朱子学は、宋以前の儒学とは違い、
極端にイデオロギー学だった。
正義体系であり、
別の言葉で言えば正邪分別論の体系でもあった。
朱子学が得意とする大義名分論というのは、
何が正で何が邪と言う事を論議する事。
しかし、こういう神学論争は年代を経ていくと、
正の幅が狭くなり、鋭くなり、
ついには針の先端の面積ほどもなくなってしまう。
その面積以外は、邪なのである。
歴史を研究する上で朱子は避けて通れず、
『近思録』『朱子語類』等をかじりましたが、
司馬遼太郎は原文のどこを読んでそう言ったか
引用がなされていないので何とも言えません。
学術であればデータを提示した上で
議論すべき内容であるのですが、
影響力のある歴史小説家が語ったので、
これが歴史の真実であると認識され、
真偽の検討までした人は皆無でしょう。
近思録に目を通しただけでこの言論が
全く違っている事が分かるので、
朱子学を詳しく書く必要がありますが、
司馬遼太郎は南朝について何か知っており、
圧力でもかけられていたのでしょうか。
彼は別のところでこれと違った話を
したという情報もあるのですが、
ここで話すべき内容でもありません。
どうしても知りたい人もいるので、
メルマガで企画を立ててみましたが、
直接会った人には突っ込んだ話をして
質問にも答えてはいます。
純粋に過去の事だけであれば良いとして、
現代にまで影響のあるのが歴史なので、
歴史の認識が現代をどう生きるかに
密接に関係しているのが問題ですね。
司馬遼太郎は小説家なので元ネタがあり、
認識を広めるのに一役かったとしても、
どの様な学説を元に言及されたものかも
言及していく必要がありそうです。
明治維新で神仏分離が行われた後に
戦中に神道も政治利用されており、
戦後には目先の物欲に流れるなど、
日本の思想界が両極端にブレた期間が
ある程度あったようですが、
特定の分野では是正が行われたものの、
総合的にはまだまだな部分があります。
この流れの基幹に南朝が存在するなら、
この国の自立を考える上において、
かなり重要な課題となりそうですね。