南北朝の対立を記した書は数少なく、
南朝側の『太平記』は有名ですが、
足利側の『梅松(ばいしょう)論』も
双璧とされている書です。
ほぼこの二冊で南北朝が語られますが、
決定的に史料の少ない時代なので、
これらの文書の信憑性が低ければ、
南北朝の既存のイメージの大半は、
捏造であった可能性も十分あります。
『梅松論』は足利尊氏側の視点から
1331年~1337年の戦乱の経緯が記され、
武家政権の正当化ともとれる表現が多く、
皇位継承問題に関与し分裂させた以外、
北条氏の政策の問題は挙げられてません。
数奇な運命に翻弄されながらも
天皇に不満のある勢力を束ね、
天下静謐をもとめた主人公として
足利尊氏を持ち上げていますね。
容赦なく味方を切り捨てる天皇に対し、
人情味溢れる尊氏に味方する流れは、
余りにも善悪の対比が明確過ぎて、
意図的なものを感じさせます。
武家政権の正統性の主張が目的なら、
後醍醐天皇に問題があったが故に
南朝と戦わざるをえくなった文脈を
創作した可能性は高いでしょう。
この書には既に幾つかの疑問が提示され、
一字一句間違いのない歴史書としては
取り扱う事が難しい感じはします。
基本的に歴史書の信憑性の度合いは
書物によってマチマチなので、
制作者の背景や意図まで含めて
読解していく必要がありますね。
南北朝の動乱の最中に天下静謐をもたらした
足利尊氏の記述の信憑性は非常に薄く、
この時代の記述のかなりの部分に嘘があり、
南朝の実相は隠されたと考えています。
それを解く鍵が東三河に残された
数々の南朝の痕跡でしょう。
南朝をテーマにするつもりは無く、
徐福なり邪馬台国なりを研究する過程で
南朝も頻繁に関わり知ってはましたが、
少し前に津島神社に参拝にいった時に、
南朝方を祀る神社を見つけた時から、
気になって仕方がありません。
時代の要請と思い書いていますが、
結論が飛びすぎているので、
段階的に進めないといけませんね。