『倭姫命丘記』は神道五部書の中にあって、
特異な位置付けがされる書とされています。
『天照坐伊勢二所皇太神宮御鎮座次第記』
『伊勢二所皇太神御鎮座伝記』
『豊受皇太神御鎮座本紀』の三書には
神宮の鎮座の次第が歴史的に記され、
鎌倉時代から室町時代にかけ神書として
尊重されて来たとされていますね。
『造伊勢二所太神宮宝基本記』『倭姫命世記』は
神道の教義が明確に主張されているだけでなく、
江戸時代には『宝基本記』『震命世記』に見える
反仏教的な主張が注目されるようになり、
垂加流の神道家が五部書として宣伝します。
つまり現在に神道五部書と言われる物は
垂加神道が広めた書籍群だった事になり、
後に付け足された書物も含めた上で、
纏めて偽書扱いされている事になります。
偽の神道を広める事で北朝天皇中心の
国家を樹立するのが目的であったなら、
本来の伊勢神道の書物に捏造ないし
付け加えがなされたとしても当然で、
ここから伊勢神道を探ろうとしても
難しくなっているのが現状でしょう。
『倭姫命世記』は『宝基本記』の思想を
発展させたものと考えられており、
編述に際し伊勢の神宮の古伝承が
包摂されたとも考えられています。
『倭姫命世記』の奥書によると、
大神飛鳥の孫・御気が書した物を
神護景雲二年(768)になって、
禰宜五月麻呂が書したとあります。
吉見幸和氏の研究を発端として、
『倭姫命世記』の本文の中から
神宮の古伝承が抽出され始め、
本居宜長を経て多くの成果を
御巫清直(みかなぎきよなお)が
『太神宮木記帰正鈔』に纏めます。
彼は神宮の古記録である『太神宮本記』が
もとになって『大同本記』が作られたとし、
『大同本記』に依拠して『倭姫命世記』が
編述されたと考えたそうですね。
『倭姫命世記』の本文を徹底的に批判して
『太神宮本記』を復元する研究がなされ、
近年に岡田米夫・西田聲男・久保田収らが
この研究を進めていったとされます。
『大同本記』そのものの解明が進む事で、
『倭姫命世記』で『太神宮本記』を復元する
試みへの問題が浮上して来ただけでなく、
『倭姫命世記』の作者が依拠した神宮の
古伝承の範囲の研究も進んでいるそうです。
私は『倭姫命世記』を様々な古伝を参考に
平家が偽造した書物と見ているので、
その辺りの真偽まで含めた研究をする
お願いをしたいところではあります。
この書に書かれていない倭姫伝承が
三遠に幾つも残されているので、
始めから怪しいと思っていましたが、
制作意図の背景を探っていくと、
死ぬほど恐ろしい根が見えますね。