『太平記』の信憑性

南北朝時代の史料は少なく、
『太平記』が特に重視されますが、
この書は二十種を越えて存在し、
史料価値の判断に問題が出ます。

亀田純一郎氏はその著『太平記』で、
太平記諸本を内容・形態両面を
個別に検討して系統づけ研究した結果、
巻二十二を欠くものが古態を留め、
それ以外は改竄された写本(流布本)で、
最も古いのは西源院本と神田本としました。

古態本と写本にはかなりの違いがあり、
南朝の歴史を調べるとためには、
古態本が史料価値が高いとされます。

元の形とは違う内容に変化したなら、
原型の究明が必要となりますが、
同時代に書かれた唯一の史料が、
『難太平記』とされています。

1402年成立とされる『難太平記』は、
今川了俊(貞世)が七十七歳になった時、
今川家の沿革と父から聞いた所伝を
子孫に伝えるための書とされます。

『難太平記』は今川家の武勲を過小評価したり、
記載しない『太平記』に難癖をつけた書ですが、
今川氏が勝者の足利側であったのであれば、
幕府に都合の悪い歴史の改変を行った部分や、
意図的に隠蔽された情報に触れたかは、
微妙な部分がありそうですね。

結局は南北朝の歴史を追及する上での
根拠となる資料に関しては、
数の少なさと信憑性の低さの問題が
ついてまわる事になります。

『太平記』が権力の検閲を受けるか、
幕府の政治的意図を元に成立した書なら、
残された文献のみで南朝を追及するのは
困難を極める事になるのでしょう。

そもそも『太平記』は序文において、
後醍醐天皇を聖主と記していながら
後に不徳の天皇としても扱っており、
様々な解釈の余地があります。

政治的意図があって書かれた歴史書は、
都合の悪い事には触れず虚実を取り混ぜ
特定のイメージを与える傾向があり、
全否定も全肯定も出来ないのが難点で、
文献からの考察には限界がありそうです。

データを元にした推理をする上で、
根拠となるデータの基盤の弱い上の
様々な仮説の提唱が行われても、
確証度の低いものになりますね。

こう言う時にフィールドワークは
絶対的でないにしろ強い部分があり、
やはり実地に出向いて感じる物は、
様々な気付きを与えてくれます。

南朝研究は『太平記』『梅松論』等を
前提知識とした展開が非常に多く、
このベースとなっている大くの部分が
崩れる可能性は十分あると感じています。

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