アショーカ王の仏教と徐福

徐福はインドに行き薬師如来像を持ち帰ったとされています。
これが史実あるいは何らかの意味があり伝承された物だとすると、
徐福はアショーカ王の仏教に触れていた事になります。

アショーカ王はインドを武力統一した後、
大量虐殺を後悔して仏教を保護したとされています。
アショーカ王は仏教のみでなく全ての宗教を保護し
互いに尊重して磨きあう事を奨励したとされています。

「私は出家と在家の全ての宗派を布施と諸々の供養により崇敬するが、
すべての宗派の本質を向上させるような布施や供養は存在しない。
本質は多様な手段で向上するが、
その根本は不適当な時に己の宗派の賛美や他の宗派の非難をせず、
それぞれの時に温和であるため言葉を慎む事であり、
他の宗派を各々の表現で尊敬すべきである。
もしかようになせば、自己の宗派を向上させ、他をも高める。
かようになさねば、自己の宗派を損ない、他をも害する。
すべて己の宗派に対する帰依から、己の宗派を輝かすために、
己の宗派のみ賛美し他を非難する者は、
この行いにより殊のほか己の宗派を損なうが故に、
互いに法を聴き、和合するのが善い。
なぜなら、私の願いは、すべての宗派を博学にし、
真の教義をもたす事だからである。」(『第十二章』)

「ここでは、いかなる生き物も殺して犠牲に供してはならなず、
またその祭をしてはならない。その祭に多くの害を見るからである。
しかし祭には価値がある。
かつて王の調理場では毎日何千もの動物が食用に殺されたが、
この法勅が銘刻された今、三匹の動物のみ殺されている。
二匹の孔雀と一頭の鹿である。
しかしこれらの動物もやがては殺されぬであろう。」(『十四章摩崖法勅』)

詳しくは三遠式銅鐸の本に書きましたが、
銅鐸発見時にアショーカ王の宝鐸ではないかと
話をした記述が残されています。
日本が多神教で他にも寛容な理由の一つは
徐福の持ち込んだアショーカ王の仏教にあるのでしょうか。

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