津島神社の彌五郎殿

津島神社は南朝の一大拠点であったとされ、
参拝するとその痕跡を見る事が出来ます。

津島神社の摂社に彌五郎殿があり、
南朝臣下を祀っているのも凄いですが、
共に祀られている存在は遥かに問題で、
南朝の概念を覆す可能性を秘めています。

当初は國玉神社と呼ばれ大巳貴命と
八坂神社社家の紀姓堀田家の祖神の
武内宿禰命とを祀る神社として
創祀されたと伝えられています。

時代の流れで衰退していた國玉神社を、
南朝の後村上院の正平元年(1346)に、
津島神社神主で堀田家当主であった
堀田彌五郎正泰が夢のお告により遷座し、
相殿に祖神・武内宿禰を祀ったとされます。

國玉神社は彌五郎殿社とされますが、
南朝との関係の深い神社として、
現代人にヒントを与えてくれます。
 
堀田家は紀氏を名乗っていたものの、
正応二年(1289)になり堀田氏に
改姓したとされているのですが、
後醍醐天皇出生の翌年の話なので、
秘められた歴史がありそうです。

紀氏周辺を掘り下げていくと
興味深い事が分かってきますが、
広大な深層に通じていますね。

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