津島神社摂社の彌五郎殿には
竹内宿禰が祀られていますが、
彼の家系は中々に興味深いですね。
天武天皇十三年(684)になって
八色の姓制定に伴い朝臣へ改姓した
紀氏が存在したそうです。
紀氏は武内宿禰の子である紀角宿禰ないし
竹内宿禰の父・屋主忍雄武雄心命を祖とする
皇別氏族とされているようですが、
神魂命の五世孫の天道根命もしくは
神魂命の子の御食持命を祖とする
神別氏族も存在するとされます。
天武天皇が登場するので壬申の乱以前の
邪馬台国の有力氏族であった可能性は、
非常に高いものがありそうです。
京都には紀氏の祖神を祀る藤森神社が鎮座、
約1800年前に神功皇后が創建したとされ
平安遷都以前から存在しているようですが、
卑弥呼の時代に侵略戦争がありました。
近郊の三社が合祀されたそうですが、
ここに祀られる神々は倭国の動乱に
関係する存在が数多く見えます。
本殿中央(中座)の御祭神は
素盞鳴命、別雷命、日本武尊、応神天皇、
仁徳天皇、神功皇后、武内宿禰の七柱。
本殿東殿(東座)には天武天皇と共に、
日本書紀の編者で日本最初の学者の
舎人親王を祀っているので、
倭国大乱と壬申の乱の二つの大動乱に
密接に関わる重要人物を祀っています。
素盞嗚命を守神としているのは
津島神社と共通していはますが、
詳しく調べないと断定出来ませんね。
神功皇后と共に日本武尊も祀られますが、
ヤマトタケル=鬼道を行う雄略天皇説は、
『平将門の深層』に書いておきました。
日本武尊は倭国大乱で立てられた卑弥呼の後に
国内統治のために東西に遠征した倭王・武なのが
私なりに研究した結果ではありますが、
倭王・武の武をタケルと読めばヤマト王タケルで
捻りもないのに誰も読まないのが不思議です。
平安京遷都以前から先住民族の祭祀が
京都の地に存在していた痕跡は複数あり、
メルマガ読者と一緒に調査に行きましたが、
案外と三遠に関係が深い気配がありますね。
津島神社は牛頭天王を奉斎する
祇園八坂神社社家である
紀姓堀田家祖の神・武内宿禰命と、
大巳貴命を祀る國玉神社として、
津島神社の元宮とされる居森社に
創建されたのが始めとされます。
京都から愛知に移されたのではなく
愛知が起源の可能性も高そうですが、
この藤本神社は伏見稲荷の根幹と関わり、
南朝の深層を探る鍵を与えてくれます。