後醍醐天皇が修したとされる
真言立川流のドクロ本尊に
ダキニ天が関連していますが、
危ないイメージのある女尊は
いつ日本に来たのでしょうか。
ダキニ天は稲荷と関係しており、
稲荷は空海が持ち込んだとされ、
両者は関係していそうなのですが、
稲荷とダキニ天の集合は後世の話で、
空海がダキニ天を持ち込んだ痕跡は、
探しても見つかりませんでした。
東寺に伝わる『稲荷大明神流記』には、
空海と稲荷神との関係が記されています。
弘仁七年(816)空海は紀州の田辺で
稲荷神の化身である異相の老翁に出会ます。
身の丈八尺(2メートル40センチ)
骨高く筋太く、内に大權の気を含み、
外に凡夫の相を現すと記されるように、
美女の姿とはかけ離れた無骨な老翁が
稲荷神の姿として表現されています。
翁は空海に会えたことを喜んで
私の教えを受ける気はないか訪ねると、
中国の霊山で会い拝んだ時に交わした
誓約を忘れることはできず、
東寺で国家を鎮護の密教を興すので、
この寺に来るように頼みます。
この神の化身が稲を担ぎ椙の葉を持ち、
2人の婦人と2人の子供と伴に、
東寺の東門にやってきたそうです。
彼らが八条二階の柴守の家に寄宿している間、
空海は東寺の造営の材木を切り出す山を定め、
この山に17日間祈りを捧げ神に鎮座して頂き、
伏見稲荷となったとされていますね。
「稲荷大明神流記」には稲荷山の神も登場し、
空海が稲荷山で修行中に龍の顔をした翁が
仏法を護持する誓願があると話す逸話もあり、
本来の稲荷には色気もヘッタクレもありません。
では空海とダキニ天が関係ないかと思いきや、
空海がダキニを祀った寺も存在するそうで、
中々に謎のある存在であるようですね。
空海・最澄が密教を持ち込む前から
雑密と呼ばれる密教がありましたが、
役小角に関わる修験に存在していたのか、
遣唐使以前から日本に持ち込まれたかは、
定かではないのところはあります。
稲荷とダキニ天との関わりを探ると
豊川稲荷に突き当たりますが、
ここにダキニ天が持ち込まれたのは
南北朝より後の時代の話とされています。
ダキニ天を怪しい存在としているのは
立川流だけでなくその歴史が曖昧で、
出自の不明さにもあるようです。
ダキニは邪悪な呪術に関わるかと思いきや、
国家の最重要な神としても扱われます。
最低な伝承から高位な神と絡む伝承まで
正体を掴みきれない話が数多くあり、
この女神の真相が隠された感があります。
後醍醐天皇とダキニの真実の関係には、
歴史の表舞台から隠された真実が存在し、
この国の在り方を完全に覆すだけの、
危険な領域が横たわっていそうです。