稲荷信仰には原初の層が存在し、
五穀豊穣と男女の密接な交わりを
結びつける信仰があったそうです。
稲荷の狐の起立した尾は男根を意味し、
狐を裏返すと男女の結合した形となる
置物も存在していると言われます。
種蒔きと性交に類似性を見いだし、
性的興奮を催す儀式を行う事で
豊作を祈る呪術が存在していました。
これはおどろおどろしい物でなく、
裸の女性と穀物の儀礼が関係する
古代の呪術的思想が存在するように、
倫理性の問われる類いのものとは
違った様相を呈していたようです。
稲荷山にある大量の「お塚」の起源は
ストーンサークルではないかともされ、
中央にそそり立つ石柱との関係が
稲荷信仰において指摘されています。
この信仰は先住民族のものであり、
稲荷山も元は三輪氏や賀茂氏などの
先住民族所有の御神山でした。
後醍醐天皇が邪教・真言立川流を行い、
怪しげな性的呪術をなしたとする
南朝批判が主流となってきましたが、
天皇の重視した伏見稲荷の古層に
性的な農耕儀礼があったのであれば、
このイメージを見直す必要があります。
五穀豊穣は国家祭祀として重要であり、
これを非難される謂れはありません。
稲荷山の信仰に古層が存在しており、
これが歴史から隠されているなら、
後醍醐天皇がどちらの稲荷信仰を
重視したかで評価が変わります。
稲荷はその名の通り稲穂に関係し、
外宮の豊受大神との関係を探れますが、
豊葦原の瑞穂の国と言うように、
瑞々しい稲穂はこの国の象徴です。
後醍醐天皇は外宮の伊勢神道を信仰し、
伊勢神道は邪馬台国の鬼道と関係します。
性的な儀礼に関係するダキニ天は、
ここにどう関係するのでしょうか。
ダキニ天も鬼と関係する可能性は
研究家していく過程で見えてきますが、
ここに至るまでにまだ遠い過程を
経る必要がありそうです。