天神と愛染明王

後醍醐天皇の名は醍醐天皇に由来し、
この天皇を理想とした故とされますが、
地獄に落ちた天皇とも叫ばれています。

醍醐天皇の父が菅原道真を重用するも、
若干十三歳で即位した醍醐天皇は
藤原時平らの讒言を鵜呑みにし、
道真を大宰府に左遷して死亡させ、
大極殿に雷が落ち病状を悪化させて
死んだとする因縁が伝えられています。

後醍醐天皇が信仰した愛染明王は、
天神信仰では天満自在天とされており、
菅原道真と同体の明王とされるので、
後醍醐の名が醍醐天皇に由来するが故に、
道真の祟りを恐れての事なのでしょうか。

道真と関係付けられる事件は多く、
平将門の乱も道真が関わったとされ、
志多羅神事件も道真の神輿が担がれます。

道真は謎多き存在で人なのに天神とされ、
牛が祀られるのは何故なのでしょう。

道真が左遷された大宰府は筑紫都督府とされ、
中国が支配地を管轄するための機関の名が
都督府とされていた事を考慮すると、
大宰府は壬申の乱後に唐が配置した機関で、
道真は先住民族に関係するのでしょうか。

後後醍醐天皇は道真の祟りを恐れたが故に
愛染明王を信仰したか否かについては、
ダキニ天との関係をみると否であり、
更に深い領域が存在していそうです。

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