鎌倉幕府の将軍が源氏であった時代は、
全般を通じてそれ程長くなかった様です。
摂関家出身の将軍である摂家将軍や、
天皇の皇子が将軍になる親王将軍の時代が、
源氏が将軍であった時代よりも長く続き、
朝廷から下に扱われぬよう武家ではなく
高貴な血統を将軍としてきたようです。
元寇により源惟康が一時的に将軍となり、
源氏将軍が十六年九ケ月程継続する事により、
将軍は源氏でなければならぬとする風潮が
武士の間に広まったと言われています。
北条氏は源氏を掲げるのと同時に
朝廷に配慮する必要に迫られ、
源頼朝の血統に最も近い河内源氏で、
北条氏と幾重の縁戚関係にあり、
北条氏の次に高い家格をもつ足利氏を
源氏の嫡流として公認したそうです。
足利氏は鎌倉幕府で有力なポジションに就き、
後にこの威勢を折られる事件が起こり、
後に足利尊氏が幕府を裏切り後醍醐天皇につき、
幕府の残党を倒した流れで天皇と戦う事になる
一連の流れに様々な疑問が浮かび上がります。
鎌倉幕府の足利氏の栄華が元寇の後であれば、
元寇により幕府の経済が疲弊したのではなく、
実際には権力を拡大していったとする研究が
提唱されている事を考慮にいれると、
足利氏の流れの見直しが必要になるでしょう。