笠置寺と楠木

笠置山山頂の行在所(あんざいしょ)は
楠木正成が歴史に登場した舞台です。

倒幕計画の発覚した後醍醐天皇は、
三種の神器を携え密かに御所を脱出。
笠置山の行在所で夢を見たそうです。

広い庭で宴会が行われている中、
天皇が自分の席を探していると
童子の御座はあちらですと、
南向きに枝が伸びた樹の下の
御座に案内された所で目覚めます。

この夢をお告げと思った天皇は、
木に南と書いて楠になるので、
楠木正成を笠置山に呼んだそうで、
まあ後世の捏造の感が強い話です。

笠置山にはこの戦いに用意された石が
置かれてはいるので動かそうと試みましたが、
余りの重さにビクともしなかったので、
本当に戦に用いたのかは疑問があります。

笠置山の伝承を見ると三河の足助氏も
この地で天皇側について戦ったとされ、
足助氏の拠点である豊田市周辺にも、
楠木を祀る神社がある事は書きましたね。

南朝=先住民族復興王朝説からすると、
笠置山における楠木伝承も偽りで、
ここで鎌倉幕府とは戦ってはおらず、
戦ったのは足利勢とになります。

後醍醐天皇は京都から追い出されて
山奥の笠置寺に隠れたのではなく、
三遠に王朝を復興させていたなら、
笠置寺は近畿エリアの要衝として
運営がなされていたのでしょうか。

京都では六波羅探題が朝廷を管理し、
足利氏が朝廷と手を組む事により
後醍醐天皇を打倒しようとしたなら、
楠木の登場は笠置山ではなさそうです。

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