古史古伝と呼ばれる様々な怪文書が
ブームになった時期が存在していますが、
いわゆる怪しい歴史を伝える文書は、
南朝と関わる物が数多くあります。
古史古伝の殆どは政治闘争に敗れた
没落した豪族の家系に伝わっており、
九鬼家は中臣神道や熊野信仰の
宗家ともされる名家だそうです。
祖先の大中臣家は大化改新の後に
政界を支配した中臣鎌足の側でなく、
祭祀に限定された家系とされますが、
この周辺の歴史は侵略者サイドが
名家の名を乗っ取っていそうですね。
竹内文書の竹内氏や安倍文書の安倍氏、
物部文書の物部氏等は豪族を輩出するも
暴落した名家とされているので、
これらの文献の共通性が見えそうです。
異端の書の基準は古事記・日本書紀と
違った内容であるのが主な理由で、
古史古伝に厳しいチェックを入れるなら、
古事記・日本書紀にも同水準の解析を
すべきではないかと思われます。
壬申の乱以前の有力氏族の伝承の多くが
後醍醐天皇と関係しているとすれば、
南朝でもアレクサンドリア大図書館の様に
包括的な歴史研究が行われた可能性は
否定できない物があるでしょう。
室町幕府による焚書で多くの書物が失われ、
異端の歴史書の保持が発覚すれば命が危うい
管理下に置かれた中で自らの歴史を残すのは、
非常な困難を究めた事だったのでしょう。
ダミーを作ったり暗号化する等して
継承されてきた歴史も様々な変遷を経て
本来の形を止めていない物も見受けられ、
この国の真の歴史は闇の中にありますが、
南朝の時点でかなりの歴史が解明され、
一般にも知れ渡っていたのでしょうか。
この残滓が古史古伝に残されているなら、
残り香だけでも感じられそうですが、
神話は国家のみでなく宗教団体にも関わり、
危険な団体には調べるとボロの出る神話を
語っている所もあったりしますね。
歴史を忘れた民族は滅ぶと言われますが、
歴史の隠蔽や捏造が行われると言う事は、
歴史にそれだけの影響力があると言う事で、
その取り扱いには責任と慎重さも
要求されてくる事になるのでしょう。
日本は先進国で唯一歴史学部が無いと言われ、
日本の歴史も分からない事だらけです。
問題なのが質問されたら窮する程度でも
証明されたかのように語られている事で、
見てきたかの様に語るのは問題なので、
学術としての基礎からの見直しが
必要とされる状況であると感じています