悪い天狗

南朝を探ると天狗が関わりますが、
増長した僧侶が悪い天狗となったり、
霊力はあっても人格的に問題のある
悪行を好む天狗のイメージは
どこから来たのでしょうか。

鎌倉時代に記された『天狗草紙』は、
南都北嶺(ほくれい)の諸大寺で
僧侶が横暴で奢っていた姿や、
浄土宗、時宗の異様な振る舞い等を、
七類の天狗に例えて風刺しています。

この寺には興福寺、東大寺、延暦寺、
円城寺、東寺、仁和寺、醍醐寺があり、
調べてみると殆どが後醍醐天皇と
関係している事が分かります。

興福寺巻の序文に記されている
永仁四年(1296)十月六日の記述で
制作された時期が特定出来ますが、
南朝の樹立する前の鎌倉末期ですね。

鎌倉幕府が朝廷を凌いだ承久の乱は
1221年の出来事とされており、
後醍醐天皇が幕府を打倒しようとする
疑惑をかけられた正中の変は1324年、
既存の説では南朝樹立前になります。

承久の乱の後に先住民族王権を
復興させようと動いていたのなら、
この王権の祭祀を悪く言ったのが
天狗=悪者の起源なのでしょうか。

鬼祭に登場する天狗は鼻が高く、
いかにも外来系の顔をしていますが、
こちらは悪者の鬼を倒しています。

どちらかと言うと南朝の修験者が
悪者の天狗扱いされているので、
力をつけて勝ったからって
良い気になりやがってと、
悪く言われた感じがしますね。

浜松方面では良い天狗が伝承され、
三河南朝説と絡めて考えると
中々面白い感じになります。

このエリアで天狗を祀る神社があれば、
毛嫌いせず挨拶してみては如何でしょう。

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