復古神道で有名な平田胤篤が三河に来た時、
御津、御馬、御油等の貴い地名があったので、
地名の由来を研究したそうです。
羽田八幡宮の羽田野敬雄氏がこれを継承し、
厳寺黙重和尚の実兄である小林覚法師や、
御津町の素村家服部美次翁らがこれに続き、
山ロ研宗氏が三河吉野朝を公表しました。
この流れから見ると三河南朝研究は、
明治維新周辺に数多く登場した
自称南朝天皇の流れとは関係なく
進められてきた部分がありますね。
この流れとは別に南朝天皇を自称した
三河南朝説が喧伝された事はありますが、
特定の信仰の強要が目的ではないので、
学術的に研究を進めていきます。
復古神道で興味深いのが神代文字の存在で、
羽田野敬雄氏もこれを研究しています。
羽田文庫を残しただけの事はあり、
羽田野氏は三河南朝に関する研究にも
多大なヒントを残して来ていますが、
地元でも羽田文庫の存在は殆ど知られず、
日本に誇る地域遺産なのに勿体ない話です。
愛知県の名に負けないよう知を愛するなら、
羽田文庫の歴史的な影響の大きさを広め、
この周辺も掘り下げて欲しいものです。
知を愛するのはフィロソフィアなので
真理の探求を重視すべきエリアですが、
羽田文庫も規模自体は及ばないものの
アレクサンドリア大図書館に通じ、
DNA的な何かを感じさせますね。